気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

突然日本にやってきた孫娘の思い出 その1

2013-02-11 10:06:16 | 思い出

 2012年12月19日(水) 午前8時30分、関西空港に一人の孫娘が降り立った。

 この孫娘に会ったのは、私たちがアメリカ合衆国フラリダ州オーランドを、2003年12月に訪れて以来、10年ぶりであった。

 まだ、6歳の少女で、10年ぶりに会う孫娘は、どのように変わっているのか、わくわくする気分で、関西空港国際線の出口前で妻と二人で待っていた。

 すると長身で肩にバックを掛け、スーツケースを引きながら、颯爽と出てくる若い娘が目に入ってくる。  ア・・内の孫娘だ。 

 私が名前を呼ぶと、すぐに気が付き、満面の笑顔でこちらに近づいてくる。

             私たちに気付くとすぐにやってくる、妻と10年ぶりの再会を抱擁しながら喜び合った孫娘と妻。

 孫娘は1996年8月、日本の大阪で誕生、半年後には、日本を離れ、ブラジルサンパウロ州で5年程生活をする。 

 その後、アメリカ合衆国フロリダ州オーランドに移る。 

 オーランドでは、私どもの末娘や2女も暮らしていて、孫娘の従姉(2人)と姉妹のようにして育っていく。 

 その後、母の仕事の関係でカリフォルニア州サンデイゴに移住し、昨年夏まで生活をしていた。

 私たちがこの孫娘に合ったのは、丁度10年前、関西空港を離陸、ハワイ、オーランド・ブラジルに向かって行った時以来である。

 

10年前の旅行で出会った時の孫娘(6歳)(USAフロリダ州オーランド)

10年前、3人の孫娘達とオーランド近郊の公園に行く。

 この時に合って以来、孫娘には一度も合ったことはなかった。 

 上記写真の後方の二人の孫娘は、3度日本を訪れているが、

 今回訪れてきた孫娘は、日本に行きたいとの気持ちを強く持っていて、日本行きはこの子の夢でも合った。

 しかしながら、様々な理由から一度も日本を訪れるチャンスはなかった。

 

 当初、同じアメリカに住む2女が、11月~12月にかけて、10年ぶりに日本に帰国する予定であった。 

 だが、急遽中止になって、今年の正月は、夫婦二人の静かな生活かナー・・ と思っていたところ、

 12月10日頃になって、インドネシアのバリ島に住む娘から、

 アメリカからやって来て、バリ島のハイスクールに通う孫娘が、

  「日本に行きたいと言っているが都合はどうか!」   

  「ただ、航空運賃は出してほしい」  

                  との連絡が入ってくる。  

 私は二つ返事でOKを出した。 

 日本生まれでありながら、いつも 日本に行きたい、行きたいと、望んでいて、一度も来日のチャンスがなかった孫娘、

 やっと念願がかなって、日本行きが現実となった。   

 どんなに喜んでいるのか!!!  目に浮かぶようであった! 

 私も この孫娘の来日が楽しみであった。

 12月19日(水)孫娘が関西空港にやってくる日である。

 後で調べて分かったことであるが、12月19日は、丁度10年前に、私達が、この孫娘や家族や親類に合うため、関西空港を出発した日でもあった。

 自宅から関西空港まで約30分、私たちは7時40分頃に自宅を妻と二人で出発する。

 空港に到着後、駐車場に愛車を入れると、直ぐに国際線到着口に急いで行く。

 空港ターミナル1階の到着口で5分ほど待っていると、一人の長身の娘が出口から颯爽とした表情で出てくる。

 ”孫娘だ・・・”  名前を呼ぶと私たちに気付いたのか、笑顔でこちらにやってくる。 

 対面すると同時に、妻と抱き合って満面の笑顔で抱擁しながら再会を喜び合っている。

関西空港に到着し、10年ぶりの再会を満面の笑顔で喜び、抱擁する孫娘と妻

 関西空港に到着し、再会した後、空港内のコーヒーショップで話をする。 

 随分と背が高くなったが、身長は・・・と聞くと・・・ 174cm とのことだった。 

 現在はバリ島のハイスク-ルに通う高校生で、昨年の8月に入学、叔母の家から通学している。

 この日は妻の年金手続きが合って、近くの社会保険事務所に行くが孫娘も同行させる。

 その後、自宅に帰って、今日の夕食は何を食べたいか!  と聞いてみると ”お寿司が食べたい・・・”  とのことだった。 

  早速 近くの回転すし店に3人で出かけて行く。

                              日本のお寿司を一番先に食べたかった孫娘

 3年前の回転寿司店で、

  ”アメリカからきた従姉妹(当時14歳)が、25皿食べ、日本に来て1週間で5kg体重が増えた”  エピソードの話をすると、

  確かに、アメリカやバリ島で食べるお寿司よりも、 ”日本のお寿司の方がおいしい” とのことだった。 

 明朝起きると、孫娘が ”体調が悪い” と訴えてくる。 

 ”鼻水やせきが少し出ている、喉や頭が痛いと” 旅の疲れもあるかもしれないが 

 私はすぐに風邪だと思い、 こじらすとせっかくの日本での楽しみが台無しになる。 

 早速、近くの病院を予約して連れて行く。  

 診断結果は軽い風邪だと診断され、1週間分の薬が出された。 

 病院での費用は、外国人は健康保険が適用されず全て実費負担である。

 この孫娘は、日本のような冬の経験がなく ”雪も見たことがない”  とのことだった。 

 その為に、服装をチエックすると、下着から全て軽装で、日本の寒さには耐えられないものであった。 

 病院での診察を終えた後、直ぐに近くの洋装店に行って、若い娘らしい冬用の下着や上着などの日常品を数着購入する。

自宅近くにある犬鳴山七宝龍寺の滝にて

 天気も良く、孫娘の体調も良くなったことから、自宅近くにある犬鳴山七宝龍寺の滝にカメラを持って3人で出かけて行く。

 駐車場に車を止め、渓谷沿いの道を登って行く。 

 渓谷に架かる木橋を渡ると、役の行者の石像があり、渓谷沿いの石道を登って行く。 すると、大小の様々な美しい滝が見えてくる。  

 私は滝が見えてくる度に、孫娘を被写体にして撮影していく。

 ただ、驚いたことに、この孫娘のポーズのとり方が板についており、自分から次から次へとポーズをつくってくる。

 顔の表情も一回一回、自分では何の違和感もなく、撮影する度に表情を変え、ポーズをつくってくる。 

 まるで どこかの撮影会でプロのモデルがポーズをつくってくれるのと同じような状況である。 

 まだ16歳、こんな、若い子がカメラを向けると、自然体で、無意識の中に体が反応してくるのか、表情やポーズをつくっている。

 日本の若い女の子では、カメラを向けると、どこかに硬さがあり、表情やポーズの数もVポーズ位で、これほど多くはとれない。 

犬鳴山の七宝龍寺の滝を過ぎて、しばらく進むと中ほど山門が見えてくる。 山門に掲げられた紫の幕の下で寺院の雰囲気が、そうさすのか硬い表情の孫娘。

参道沿いの林をバックに自分の長い髪の毛を両手で持ってポーズをとり、満面の笑顔の孫娘。

 12月23日(日) 朝、今日は好天と思われる程、やわらかい太陽の日射しが窓から差し込んでいる。

 今日は ”近くの山へ弁当を持ってハイキングに行こう”  と話が直ぐにまとまり、リュックを下げて3人で出掛けて行く。  

 大阪湾などの眺望の良い和泉葛城山のドライブコースに行くことになった。

 葛城山を目指して途中まで愛車で行くと、11月の大雨で道路が通行止めになっていた。 

 しかたなく引き返し、永楽ダム湖駐車場で、弁当を広げ3人で昼食を摂ることにした。

 昼食後に一周2kmのダム湖周遊コースをウオーキングすることになった。

 ウオーキングを開始して500m位進んだ所で孫娘が、突然、

ダム湖上空に聳えている展望台施設をみて ”あそこに行きたい” と言ってくる。

 私たちは、毎週のように登っているコースでもあることから、ダム湖近くの登山口から登って行くことにした。

急峻な山道が続くコースであるが、妻も孫も疲れも見せずに登って行く。 

急峻な坂道を10分程登ると、比較的平坦な尾根道に出る。尾根道からは見事な眺望が広がっている。 すると孫娘がスマートホンで自分の写真を撮っている姿が見えてくる。

眺望の良い尾根道が続くハイキングコースから、大阪湾や周辺都市の光景に両手を広げ大満足の表情を表す孫娘。 

眺望の良い東ハイキングコースの尾根道を展望台に向かっていると、

 孫娘が ”こんな景色のよい所に連れてきてくれて ありがとう”  といってくる。 

私も思わずうれしくなってくる。 孫娘もこんな山道を歩くハイキングが好きそうであった。 

さらに尾根道からの眺望を楽しみながら進んで行くと10分ほどで西展望台に到着する。

麓では、ほとんど風がなかったが、この展望台からは、360度視界をさえぎるものがなく、眺望は抜群であるが、風の強さと寒さで長くは居られなかった。

東ハイキングコースの展望台からの永楽ダム湖。 通常の天気だと大阪湾が望めるが、視界が悪く、白くうっすらとしか見えないのが残念であった。

展望台では強風にあおられ、長い髪が空中に舞う中で撮影する。 関西空港入口のリンク―タウン(左塔)などが見えている。

強風と寒さの展望台に登り、記念撮影をした後、直ぐに下山を開始する。 

下山コースは、登ったコースよりも急峻であるが、駐車場に最も近いコースでもある。 

このコースからの眺望もよく、25分程でダム湖周遊道路まで下山する。 

永楽ダム湖本体のよう壁から撮影、上空の山の上に小さな構造物が見えているのが、先ほどまで登っていた展望台である。

12月26日(水)今日は活花教室が開催される日であるが、朝から妻がめまいがすると言いだし、急遽、病院に行くことになった。

孫娘に話をすると ”私は活花を体験したい” とのことだった。 

活花の先生等に状況を説明すると、二つ返事で了承していただいて、孫娘は自宅に迎えに来てくれた方と一緒に活花教室に向かった。

病院での妻の診断結果は、たいしたことはなく、通常が低血圧であることから、少し疲れ気味と風の症状からきているとことだった。

私たちが家に帰る頃に、孫娘も活花の材料をかかえて帰ってくる。

お正月用の松や花を器に活ける孫娘、初体験であるがデザイナーを志したいと言うだけ合って筋は良さそうである。

 いつもは妻とわたくしの静かな生活であるが、孫娘が来日すると急に忙しくなる。

年末の慌ただしさに加え、物心ついて初めて日本に来た孫娘に楽しい思い出を作ってあげたい気持ちも強かった。 

この子は性格的にはおとなしい子であるが、一人っ子のためか、甘えん坊で、御茶目な性格でもある。 

日本のお風呂の様な入浴習慣が、外国に育った子供たちには、ないといわれているが、

この子は毎晩のように、妻と二人で一緒に入浴している。

 妻が何も言わなくて先にお風呂に入っていると、後から入って行って一緒に入浴している。

特に日本の冬に、温かいお湯に浸りながら会話することが大好きなようでいつも賑やかな会話の声が聞こえてくる。 

家の浴槽は、隅に段差があり、大人が二人入っても十分な大きさである。

 また、寝室はそれぞれ別の部屋であるが、毎晩のようにやってきて、妻が寝ていると、孫娘が大きな体を妻の上に乗せながら寝たり、しながら甘えるしぐさをよくする子で、わたくしにも、部屋のドアーに隠れていて、脅かしたりする子でもある。

私たちは、年賀状や年末の大掃除を終え、大阪の自宅で新年を迎えた後、自宅近くの神社で初詣、1月2日に郷里の四国へ向かう予定である。