荒井公康の日記帳

創作活動の成果を発表していきたいと思います。

不幸の始まり

2023-07-09 03:44:36 | 日記

不幸の始まり
実家の一階部分をブラジル人が借り、酒場を開いてからが、私の人生の不幸の始まりであった。母が死ぬまでは親子三人で仲良く静かに暮らしていた。ブラジル人が来る前には日本人(丸新食品)が実家の一階部分を借りていたが、静かに営業しており何の問題もなかった。しかし、ブラジル人が酒場を開業してからは、私の居住していた場所の雰囲気は一変して、昼間から酔っ払いが大勢、辺りをたむろし、入れ墨をした人間が出入りするなど私も怖い思いをした。近所からも騒がしいと苦情が出ていた。小学校も近いし風紀は完全に乱れて、困ったものだと思った。私も家主として注意に行ったが、逆に営業妨害だとか文句を言ってきて、警察が介入するようになった。明らかに民事介入で不法なことだった。外で焼き物をし消防法に違反するなど不法なことを行い、指摘した私が営業妨害と悪者にされ、警察とももめることになった。結局、私はそこに住めなくなり、やむを得ず、マンションに移り住むことになったが、住み慣れた実家を離れたことは、かなり苦痛であった。なにしろ、実家は小学生の頃から住んでいて想い出にあふれる場所であったから。時々、実家に用があって私が戻ると、実家の前を通っただけの私に対して、酒場の女主人は盛んに通報することを繰り返し、その後私をなんとストーカー扱いし、警察に訴えるようになった。しかし、警察官の中には、通報があって何回調べても酒場にはなんの被害も認められないと言う人もいた。明らかに今思えば、その女主人は虚偽告訴罪を犯していたことになる。なぜか、警察というのは女性の言うことは無条件に信じるものらしい。しかし、私の失ったものは大きい。実家を失ったことは、懐かしい思い出の故郷を失うことに等しかったからである。想い出の部屋、想い出の環境を無理やり奪われることになった。現在、やっとブラジル人も退去し、付近は平穏に戻ったが、想い出の住処を失った私の精神的な苦痛は大きなものがある。虚偽告訴を繰り返したその女主人は憎いが、忘れるしかない。しかし、この件で、改めて日本人がいかに大人しく秩序を重んずるかの認識を新たにした。外国人は倫理観に乏しく騒がしく、外国人にやたら物件を貸すものでないとも思った。日本では借り手よりも貸し手のほうが立場が弱いのもある意味問題だと思う。迷惑を受けて追い出したくても法律上簡単にはできないようになっているのである。私の心の痛手は大きいが、諦めるしかないようだ。

 

荒井公康

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