たまには海をみないと、もう、世の中全部呪っちまいそうな誘惑にめげそうになるぜ。
神奈川県・厨子市・葉山町・長柄桜山古墳群。
この古墳群は、発見が新しい部類に入る。なんせ、携帯電話の中継基地の工事で出てきた。携帯電話だぜ。道路とか宅地とかお墓とかの造成ではないんだぜ。
といっても。
元々は、地元の中央から見れば市井の田舎学者が目に付けておられた。これ幸いにというかこれは危機というか、そういうようないきさつで、埴輪らしき破片をゲットしたことから始まった、古墳群である。
神奈川県内現存最大級規模の前方後円墳がふたつも出た。しかも4世紀後半。。。
有名な古墳だから、詳細は省く。
今現在の心情と相まって、宮沢賢治の残した言葉なんぞが出てくる。人の幸いとは・・・
ま。
東急田園都市線あざみ野駅で横浜市営地下鉄ブルーラインに乗り換える。上大岡駅で更に京急に乗り換える。目指すは、新厨子駅。
真昼間だからよく鉄道スレに立つような京急ではない。のんびりとしてる。




新厨子駅到着。

それにしても腹が減ったな・・・お・・・美味そうな店発見!


シェフはイタリアンが専門なのかな?でも無国籍な感じ。でもいい感じ。サービスランチを頼む。やはり美味かった。これだけの腕を持っていて無国籍ではもったいないとも思うが、たぶん、地元密着型を選択してるのであろう。夜はもっと美味そうだ。賑やかそうだ。ビストロとバルのあいのこになるのかな。
この街に住んでいたら、間違いなく常連様になってるな。
ん?
古墳!
実は、ぼけていて地図忘れた。スマホに入力しても当たり前だが出てこない。うろ覚えで歩き出す。
確かこの川沿いの上・・・




ん?らしきがあった?

なんだこれ?誰?お!案内板。

その、誰?は、六代御前様という平清盛の曾孫にあたる貴婦人らしい。



我ながら恥ずかしい。貴婦人ではなく、御曹司様であった。平高清様というらしい。この田越川の河原に露と散ったらしい。都を遠く離れて、享年26であったか・・・定めとは言え、よほどの痛ましさだったんだろうな。

祟りを恐れるというよりは、悼むという感じの方が強い。
んで。
その後ろから登る。

お!案内板。





は???廃墟!


車は無理だろう。徒歩だけが頼りの豪邸。どなたがお住まいであったのであろうか?
案内版に従ってひたすら歩く。

お。分岐点。
アトリエらしき建物。だろうな。定住するにはいささか・・・


ま。一号から行きますか。

と・・・案内板・・・と・・・道の繰り返し。






と、いつの間にか、おおお!!!二号に出ていたんかよ!!!!

ま・・・





わ!!!!素晴らしい!!!!



惚れ惚れするようだ。
と・・・その先!!!!






絶景!!!!!
県内の内陸部の古墳は5~7世紀くらいだから、徐々に征服されていったんだろうなぁと推測がつくが、これは・・・
海路か?海路から来たのか?逆か?海路を押さえていたのか?中央と同じくらいの強大な勢力があったのか?
なるほどに、大騒ぎになったわけだ。
どんな大君がおわしたのであろうか?どうして歴史の表舞台から消えたのか?
しばし浮世の憂さを忘れた。
あ。もうこんな時間か。また明日。