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私たちの物の考え方は どこか歪んでいるようです。
足りないから 乏しいから 「大切」にする
そうした発想で物質と人間のかかわりを割り切ってよいのでしょうか。
釈尊ののことばは ・・・ その正反対です。
「身につつしみなくして」物質を消費することは許されない
・・・ と いうのです。
物があるかないかは 後まわしの話です。
どんなに豊富に資源があっても
これを費やす人間の側につつしみがないなら ・・・
抑制と感謝する心ももてず
物を受けとり 穀物 魚肉を口にする資格はない
・・・ と いわれるのです。
いま 私たちにもっとも欠けている「価値観」は これです。
ですから
オイルショック(旧い例で失礼)が過ぎると
もう ハイウエイは車でいっぱいです。
もしインフレでもなかったら
使い捨ての風習は
老人から幼児まで 果てしなくひろがっていくことでしょうね。
(再掲)
身につつしみなくして
国(よ)の施物(ほどこし)を食うことなからん (法句経)
足りないから 乏しいから 「大切」にする
そうした発想で物質と人間のかかわりを割り切ってよいのでしょうか。
釈尊ののことばは ・・・ その正反対です。
「身につつしみなくして」物質を消費することは許されない
・・・ と いうのです。
物があるかないかは 後まわしの話です。
どんなに豊富に資源があっても
これを費やす人間の側につつしみがないなら ・・・
抑制と感謝する心ももてず
物を受けとり 穀物 魚肉を口にする資格はない
・・・ と いわれるのです。
いま 私たちにもっとも欠けている「価値観」は これです。
ですから
オイルショック(旧い例で失礼)が過ぎると
もう ハイウエイは車でいっぱいです。
もしインフレでもなかったら
使い捨ての風習は
老人から幼児まで 果てしなくひろがっていくことでしょうね。
(再掲)
身につつしみなくして
国(よ)の施物(ほどこし)を食うことなからん (法句経)