政治的無関心 2010-02-28 18:18:33 | Weblog 政治的無関心ほど 恐ろしいものはない ・・・ といいますが その中でも最も恐ろしいのは 関心を繰り返しているうちに 無関心と同じ状態におちいる ・・・ ことです。
狡猾な政治 ・・・ 悪政 2010-02-28 17:45:16 | Weblog 狡猾な政治は 必ず既成事実なるものをつくりあげます。 そして 冷却期間なるものをもうけます。 慣れやすく 忘れやすい人間の習性をめざして 悪政は成立し ・・・ その擁護者は それを現実主義 ・・・ と呼んでいます。
治ります 2010-02-28 16:25:52 | Weblog 医者に対して 自分の病気は必ず治るか と質問することほど 愚かなことはありません。 「治ります」 と答えるに決まっています ・・・ 。
不安 2010-02-28 15:49:18 | Weblog 医学書をみていると そこにのっているすべての病気に 自分がかかっているか ないしは かかる可能性がある ・・・ という不安におそわれます。 犯罪書をみていても ・・・ 同様です。
目をあけている 2010-02-28 10:18:39 | Weblog 目をあけている ・・・ とは どういうことなのでしょう。 昔からよく 心眼を開く という言葉がありますが そんな難しいことではなく ・・・ どんないやなことでも 恐ろしい物でも 心配な事件でも それから逃れようとしたり それに咬みついたりしないで ・・・ じっと事実をありのままに見届けてしまう という心の態度のことです。 エコヒーキなしに スーッと 事実をそのまま見てしまう。 つまり別のことばでいえば 度胸をすえる とか 捨て身になる ・・・ とも言えるでしょうか。 しかし そう言ったのでは 少し大げさすぎるような気もしますし つまらなくなってしまいます。 私が言いたいことは そんな力んだことではなくて 誰にでも やすやすできる ・・・ ことなのですから。
自己批判 2010-02-28 06:32:30 | Weblog 外部に向いている批判の物差が 自分に当てはまることに気づかされる時 古い自分は死んでしまい ・・・ 新しい自分の姿に気がついて 自分自身を縛りつけていたきずなも ・・・ 解けてくるような気がします。
ブロイラー式教育⑥ ・・・ お母さんの転換 2010-02-27 06:54:49 | Weblog 「なんといって物欲こそが人間の幸福だ」 とばかりに育てられ ・・・ 膨大な量の知識を詰め込まれ いつも追いかけられ 争い のぼせて いつも 何かに勝つために心を尖らせている ・・・ 子どもたち。 本当に人間らしい 心の豊かな よい子を育てる道 ・・・ はあるのでしょうか。 物欲至上思想を根底とする 政治と学校教育の中で 尚人間らしい豊かな心を失わない道 ・・・ があるのでしょうか。 物欲と見栄のために ガツガツと険しい痩せた心で一生 地位と金を追いつづける 餓鬼のような生き方でなく 自分自身を本当に生かす 心豊かな生き方のできる人に育てる ・・・ ことができるのでしょうか。 ・・・ それは なかなか容易なことではありません。 しかし、しかし 唯一つだけ道がある ・・・ と思います。 それは お母さん方の人生観の ハッキリした転換 ・・・ であります。 物欲の満足をもって 人間幸福の尺度とする幼稚な考えを捨て 心の豊かさを それに代える ・・・ ことです。 この転換が出来れば 子どもの精神を萎縮し 干からびたものにしてまで 点数を稼がせる必要がなくなる ・・・ でしょうね。 子どもの性格や品性を犠牲にしてまで ガラクタ知識を詰め込もうとは 考えなくなる ・・・ でしょうね。
ブロイラー式教育⑤ ・・・ 不味い 2010-02-26 06:17:40 | Weblog 学校教育は ますます知識の詰め込みを 余儀なくさせる方向に向かっているようで ・・・ こういう教育の中の優等生が 国の指導的地位につく時代 ・・・ もともとわが国では ものおぼえのいい秀才が 出世するように仕組まれているので ・・・ 政治家や高級役人に アタマの働く人は少なく 創造力が乏しいために いつも世の中の変化の後々を追っている ・・・ ようです。 今日の学校の秀才が 指導的立場に立つ時代がきたら ・・・ どんなことになるか ・・・ 恐ろしい気がします。 後手に廻るという消極的なまずさより もっとバカらしいことが 平気で行われはしないか ・・・ と取越し苦労をさせられます。 ともかく 学校教育の実際は 知育偏重よりも さらに悪い 知識の量を競わせる「ブロイラー飼育式」 ・・・ になっています。 ブヨブヨに肥えて 見かけは立派だが 肉質が悪く ・・・ 味がありません。
ブロイラー式教育④ ・・・ 知育偏重 2010-02-26 05:42:33 | Weblog 知識詰め込みも 知育の一種でないとはいいません。 しかし 知識の詰め込みに凝っていたら アタマは硬直して働かなくなります。 どんなに高級な知識を どんなに多量に蓄積しても それだけでは大した役には立ちません。 知識というものは それを活用して 次の何かを創造するのに役立てるのでなければ 使わないお金をいっぱい貯めて 得意になっている金持ちのお金と同じで、 かえって人間を 不自由にしてしまいます。 そして お金を貯め込むことに熱中していては 使い方がわからなくなるのと同様に 知識を取り込むことに過度に熱中していると 知のハタラキの方は 鈍くならざるを得ません。
ブロイラー式教育③ ・・・ 役にも立たないことを 2010-02-25 12:49:12 | Weblog 私から見ると どうしてこんなことを知らねばならないのだろう と不審に思うことが 教科書には いっぱい載っています。 必要が起これば 辞典や参考書で 簡単に調べられることまで 無理に憶えておく必要がどこにあるのでしょう。 何を見ればよいか どこへ問い合わせればよいか その調べ方さえ教えておけば充分 ・・・ ではないでしょうか。 全部は憶えなくてよいのだ という人もありますが 「ここを憶えなくてもよい」 という指定でもないかぎり 憶えていなければ 点がとれない問題が出るから ・・・ 憶えようと努力せざるを得ません。 なんともはや ・・・ 馬鹿馬鹿しい話しです。
ブロイラー式教育② ・・・ 誰が何をとるために 2010-02-25 08:08:13 | Weblog ブロイラーは 肉を取るために 飼われているのですが この人間子どもたちは 誰が 何をとるために 育てられているのでしょう ・・・ という疑いが起こってきます。 このままでは 子どもたちは 健全な生命力を失ったブロイラーなってしまうことは ・・・誰の目にも明らかではありませんか。 教育の工夫とは 如何にして知識という餌を 上手に食わせるか という科学的方法の探究のこと ・・・ なのでしょうか。 いろいろ疑問が ・・・ 湧いてきます。
ブロイラー式教育① ・・・ 子育て 2010-02-25 06:26:17 | Weblog 日々目の前にみる子供たちの姿は 憐れむべきものです。 親や先生からけしかけられて 彼らは よく勉強します。 目指す上級学校に入るためには どうしても この胃にあまる大量の知識を 詰め込まなければなりません。 消化するか否かも 問うところではありません。 この有様を見ていると 私は ブロイラー を想い出します。 ・・・ 運動もせず 砂遊びもできない 狭い檻の中に閉じ込められて ひっきりなしに餌を食わされて ブヨブヨに肥え太らされるブロイラーを 連想します。 食わないやつは 不合格品とされる ・・・ のです。
子どもの栄養漬け ・・・ 子育て 2010-02-24 21:12:14 | Weblog とにもかくにも ご馳走の多過ぎは肉体の健康の上から言っても、よろしくありませんが、それは精神面でもやる気を衰えさせてしまうことになる ・・・ と思います。 「腹八分医者いらず」と言う通り、食い過ぎにならないようにすることは健康上よいに違いありませんが、若者の場合は大人より肉体的に弾力がありますから、タマに腹十二分に食うことは大して害がないでしょうし、精神的にはプラスになる面が多いように思います。 ・・・ ただし、登校拒否者、非行少年のように愛情に飢えているものは、常識外のムラ食いをします。好きなものだと普通の三倍も四倍も食べます。そういうときには気をつけなければなりません ・・・ 何より害があるのは、栄養知識にこだわって子どもを栄養漬けにしておきたい母親の妄念 ・・・ だと思います。 要するに、ご馳走は足りない目の方が、心身ともに積極的意欲を起こし、より爽快な状態を保つことができる ・・・ ということを言いたかったのです。
カラダの要求で ・・・ 子育て 2010-02-24 18:25:47 | Weblog 人間はニワトリと違って、カラダの要求で食べるよりアタマで食べるようになり勝ちです。 つまり、栄養があると思うと、食べよう、という気が起こります。大人でもそうですが、子どもの中にもそういう傾向の強い子がかなり居ります。 理想的に言えば、子どもには栄養のことなどあまり言わずに、カラダの要求で食べるようにしたいものだ ・・・ と思います。 その方が自然であり、健康的だ ・・・ と思うからです。
ご馳走が多すぎる家庭料理 ・・・ 子育て 2010-02-24 17:44:55 | Weblog 家庭料理にしても毎食ご馳走の多過ぎる家が多いのではありませんか。 品数にしても量にしても多過ぎれば無駄になります。そのようにして食べ物を粗末にする習慣は、その家庭内の生活に緊張が欠けることになるので、よろしくないことだ ・・・ と思います。 だいたい、ご馳走を食べ切れないほど作る人は、家族の舌を喜ばすことだけでなく、きっと栄養のことも考えているのだと思います。多く作ってその中から家族がめいめい必要な物を欲しいだけ食べれば一番だと考えるのでしょう。 しかし、結果は果たしてそうなっているでしょうか。 そのようにして育った子は嗜好が片寄ったりしやすいばかりでなく、肉体的にも却って頑健でなく、ブクブク太ったり、逆に痩せっぽちになるのが多いようです。 それは 常習的ご馳走過多は食欲の健全さを損う ・・・ からでしょうね。