
地獄こそ分相応の場所 と言いきることができたのは
モウタスカラズトモ ヨロシュウゴザイマス と同じではないか。
ここではじめて
助かりたい というあつかましい期待が死ぬのだろう。
そこではじめて
自分の足が地について しっかりと歩みだすことができるのだろう。
慈悲とは
目の前をうろちょろするものに心を奪われることなく
自分の足でしっかりと歩める人間に
・・・ 私たちを仕立てなおすことであったのだ。
(再掲)
慈悲の唄
竹部 勝之進
モッタイナイコトデス
モッタイナイコトデス
ワタシヒトリハ
ワタシヒトリハ
モウタスカラズトモ
ヨロシュウゴザイマス
モッタイナイコトデス
モッタイナイコトデス
* 2010.11 東ブータンで
モウタスカラズトモ ヨロシュウゴザイマス と同じではないか。
ここではじめて
助かりたい というあつかましい期待が死ぬのだろう。
そこではじめて
自分の足が地について しっかりと歩みだすことができるのだろう。
慈悲とは
目の前をうろちょろするものに心を奪われることなく
自分の足でしっかりと歩める人間に
・・・ 私たちを仕立てなおすことであったのだ。
(再掲)
慈悲の唄
竹部 勝之進
モッタイナイコトデス
モッタイナイコトデス
ワタシヒトリハ
ワタシヒトリハ
モウタスカラズトモ
ヨロシュウゴザイマス
モッタイナイコトデス
モッタイナイコトデス
* 2010.11 東ブータンで