旅館の仕事を手伝いはじめた頃、温泉旅館に泊まりに行きました。
お部屋で夕食でした。自分の母より年上と思われる仲居さんが、それはそれは低頭な接客をされ、どうも身の丈に合わないというか居心地が悪いので、
「いやそんなに気を使わなくて大丈夫ですよ、ごく普通に接して下されば」
とお伝えしました。そして
「実は私も旅館の人間なので、気楽にどうぞ」
と申し上げました。すると緊張の糸が切れたのか仲居さんはこう言ったのです。
「お食事を朝晩毎日お世話し、布団を敷き続けて、
こんなにみじめな仕事はありません」
私は暗い気持ちになりました。自分も関わっているこの仕事がみじめだって?
その後、仲居さんに「そんなことはないですよ。素晴らしい仕事ですよ。」などとお話したりしました。心情を吐露してほっとしたのか表情が明るくなって、朝はすごく元気でフレンドリー、サービス満点でした(笑)
男性客の歓楽中心という感じの温泉旅館―。悲哀を感じさせる疲れ切った仲居さんの姿に、複雑な思いでした。男性団体客からの扱い、旅館の仕事の現場でどのような待遇をされていたのでしょうか?ご主人とは若いうちに別れ、一人息子の為にやむをえずこの仕事をしているという話ぶりに、経営者である私は苦々しく思ったものです。しかし若い私にはその記憶が残り、とても勉強になりました。
まあ、お客様である私共に「本音」をつい見せてしまったこの仲居さんのお陰で、こっちは旅行の雰囲気が台無しになったのですが(苦笑)
その後、私も旅館の現場で、「心無きもてなしの姿」―つまり自分の仕事に誇りを持てないスタッフがいて、やれやれと仕事をこなすという態度を見てきました。これでは、お客様と心を通い合わせることは困難です。
「お客様は神様」っていう言葉は絶対的な上下関係を暗示させ、お客様の厳しい要望にも心ならずとも応えてゆくという絶対権力の思想を感じます。昔は士農工商つまり封建制度の支配社会でしたので、これが日本の「お客様は神様」サービス業思想の原点なのでしょうか?(いい加減な憶測ですが)。
その後、日本の現在は階級社会が無くなりましたが、「お客様は神様」の精神が残っています。でも、世の中は平等公平だって教育している日本で、このような格差崇拝はどうかと思うのです。元々買い物は生きてゆくために、魚と野菜を交換するような原点があるわけで、商売は売り手にも買い手にもありがたみのある公平な世界だったと思うのです。
しかし、豊かな時代になり供給過剰になったので、買い手の力が強くなり、「お客様は神様」の合言葉で、横柄なお客様の存在にも甘んじています。お店のオーナーがこの言葉を言うと、お客様は「謙虚なお店」という好感を持つかもしれません。しかし全ての従業員が必ずしもこれを心から受け入れているとは思えません。現実問題として、仕方なくお客様を神様と思って、演じるように仕事をしている人が多いのです。だから、挨拶にも心がこもって感じられない。
現在、当館ではお客様は神様という指導はしていません。
お客様は同じ人間です、と。
同じ人間だから思いやりを持って、お客様が居心地よく過ごせるように配慮の気持ちを忘れないで。そう伝えています。
挨拶や最低限の接客マナーは少し指導しますが、胸を張って自信を持って、自分の人柄の良さで接して欲しいとそう伝えています。
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