神鳴り3

後期高齢者になりましたが、ますます若々しくありたいと願っています。どうぞよろしくお願いいたします。

横須賀に行ったのは今回が初めてでしたが

2023-07-31 11:26:33 | 日記
お隣の三浦市には大昔に行ったことがあります。

あれは兄が慶応大学に合格した年のことでしたから、
今から60年も昔のことになります。

兄が慶応大学日吉キャンパスに通っていたころのお話です。

兄がまだ大学に入学したばかりで心細いだろうからと、
母方の祖父が横浜在住の祖父の従妹の家にお願いをして、
よくお邪魔させていだだいていました。

その家は横浜の高台にあり、離れもありましたから、
私や母も逗留させていだだいたことがありました。

昔は、こういうふうに親戚の家に泊ったりすることはよくありました。

あるとき、その祖父の従妹が三浦半島に別荘地を買うと言いますので、
私の母も一緒に買うことになり
三浦市の三崎口駅というところまで電車で行きました。

横浜からはずいぶん長く電車に乗ったという記憶が残っています。

駅からもかなり歩いたと思います。

その頃、まだ高校生だった私には
「城ヶ島」と書かれた看板が記憶に残っています。

「城ヶ島」という地名は、
北原白秋の「城ヶ島の雨」の歌で、
田舎の高校生だった私にもインプットされていたからでした。

それで、母も祖父の従妹と一緒に土地を買ったのでしたが、
その後、その土地が高騰して、
その祖父の従妹の息子さんのお嫁さんとお孫さんが来て、
その母の買った土地は買ったときの値段で買い取らせてもらいますと。

その頃、祖父の従妹はもう亡くなっていたかもしれません。

息子さんは、その祖父の従妹さんより早く亡くなられていましたから、
その奥さんは未亡人になられていたと思います。

母は納得がいかなかったようでしたが、
しかし、
兄が大学に通っていた頃は一方ならぬお世話になったこともあり、
向こうの言い値で売ったということがありました。

母は兄が東京に就職したときのことを考えて買ったようでしたが、
その後、郷里の高知に帰ってきましたから、
別に不都合はありませんでしたが・・・。

兄は慶応大学在学中に司法試験を受けましたが、
現役では合格せず、
父が国家公務員で経済的に余裕がないことを鑑みて
司法浪人はせずに就職をしました。

それが良かったかよくなかったかは、兄も亡くなった現在、
言っても詮無いことです。

兄は慶応大学では優秀な成績を修めていましたから
教授に大学に残ることも薦められましたが、
結局就職してしまったのでした。

今回は横須賀に行ったのでしたが、
京急線の電車に乗ると、
「三崎」とか「城ヶ島」の文字を見る機会もあったため、
その横浜の親戚を思い出すとともに兄のことも思い出してしまいました。

兄は慶応大学在学中にオクスフォード大学留学の誘いもありました。

が、これも、やはり父が国家公務員で経済的余裕がないという理由で辞退しました。

父は並外れて正義感の強い人で、
上司の命令も間違っていると思えば聞かないというところがありましたから、
出世街道から外されていました。

その煽りを兄や私が受けたかもしれません。

が、私も都会の短大に進学させてもらいましたから感謝はしないといけないと思います。

★三浦市の三崎に行きし記憶あり城ヶ島の字も見えてゐたりき

★親戚と買ひし三崎の土地のこと兄死に母死にまぼろしとなる

★高騰をするまへ買ひし土地のこともしや忘れず死にしか母は

★兄のため買ひし土地ではありしかどその兄も死に母も死にたり

★弁護士になりてゐればと亡き兄の大昔のこと今おもひだす

★出世には関心なかりし父のこと少し恨みてゐたかもしれず

★わが道をいくがモットーなりし父清く生きしが出世はできず

★晩年は少し後悔したこともありしか家族に迷惑かけて

★いくらでもチャンスはありしはずの父清貧なまま公務員終ゆ

★父よりも才覚ありし母買ひし三崎の土地は親戚に売りき

★あのときにああすればとはあのときにああできざりし者の戯言