神鳴り3

後期高齢者になりましたが、ますます若々しくありたいと願っています。どうぞよろしくお願いいたします。

苦悩

2021-09-16 06:37:00 | 日記
下記は、Blog友さんの記事に引用されていた言葉だが、自分の備忘のために、お許しを得て記事にさせていただく。

人間誰しも心の中に
アウシュビッツ(苦悩)を持っている。
あなたが人生に絶望しても、
人生はあなたに絶望していない

――――――――――
ヴィクトール・フランクル
(『夜と霧』著者/強制収容所から
奇跡的な生還を果たした精神科医精神科医)

私は、私だけが苦悩をもっているように錯覚するが、この言葉は、みな苦悩を持っていることを思い出させてくれた。

私は、ときどき絶望するが、それでも、こうして生かしていただいているのは私の人生が私に絶望していないということだと。

まだ生きねばならないらしい。

その記事には、こういう言葉も書かれてあった。

★エドガー・ケイシー


今日(9月15日)の珠玉のリーディングをお届けします。


もし自分の願望を満足させるためであれば、病気のままでいたほうがましです。もし人々の人生に建設的な影響力を与えるためであれば、[治療を]始めることです。しかし、そのことを祈ることから始め、[治ったあかつきには人のためになることを]約束しなさい。そしてあなたの造り主に対するこの約束を守りなさい。

私は何度も命を救ってもらっているのだから人のために生きねばならない宿命があるのだろう。

が、相変わらず自分のことしか考えられないから、神様は私に気づかせようと、様々な試練を与えてくださるのかもしれない。

今朝も暗い記事になったもしれないが、私が暗い人間なので、お許しを!

★鬱病みのわれの書く記事くらくなり闇の中にてつぶやくごとし

★闇好きといふにあらねど洞窟にやすらぐごとく闇に安らぐ

★死ぬときは闇から闇に移るのみゆゑに死ぬのは怖くあらざり

★暗闇に動かずをりたき心もて此の世に生きることは苦しゑ

自分を守るために、見ざる、言わざる、聞かず

2021-09-15 09:20:59 | 日記
自分を守る」という記事を読ませていただいた。

この方の記事には、いつもいいことが書かれてある。

まだお若い私の娘くらいの年齢だと拝察するが、私は毎日この双子のご姉妹さんの記事に癒やされている。

今日もいっぱい傷つくことがあったが、この記事に救われた。

そうですね。

人から攻撃されることがあっても自分が自分を守ってやればいいのですね。

逆に、自分が守ってやらないで、誰が守ってくれる?

こういうBlog活動していても敵はできます。

そのとき、いちいち言われたことに反応していたら身が持ちません。

ときには、見ざる、言わざる、聞かざる、似徹することも必要かも知れません。

Blogの場合、「言わざる」は書かざるになりますから、しばらく書かないほうがいいかもしれません。

というより、やはり止めてしまったほうが?

書かなければ傷つくこともありませんから。

★身を守るために言はざることこれは書かざることに鳴るBlogでは

★自らの生みし者にも疎まれるBlogを書くとふ行為は時に

★わたくしを虐めし人もその人の孫は可愛ひがりてゐたれば

★嫁いぢめしても孫なら可愛がる孫は己の息子の子なれば

★姑の愛孫なればわが生みし子なれど親の我を疎める

『バベットの晩餐会』

2021-09-14 11:50:53 | 日記
Blog友さんに放映があることを教えていただいて録画しておいた。

宗教的な寓意も感じられる映画だった。

映画の舞台はデンマークの寒村。

清貧という言葉がぴったりするような村だ。

その村にはキリスト教のある宗派を主催している牧師がいて、彼には美しい姉妹がいた。

その姉妹目当てに教会に来る人も多かった。

若い頃の姉妹には、それぞれ求婚してくる男性もいたが、二人はその求婚を退けて神に尽くす道を選ぶ。


今は老女になった二人は、今も村人のために無償の奉仕を続けていた。


そんなところに、ある嵐の夜、一人の女性が訪ねてくる。


その女性はかつて姉妹の妹に求婚したフランスの有名音楽家の手紙を携えてきていた。

その手紙には、この女性がフランス革命?で殺されそうになってデンマークに逃れることになったから、面倒を見てやってほしいと。

手紙には、今も姉妹の妹のことを思っているとも書かれてあった。

音楽では名声を得たが、今になると、姉妹のように村の人々に尽くして尊敬される生き方のほうが幸せだったかもしれないとも。

姉妹は、家政婦を雇うほどの余裕がないことを理由に訪ねてきた女性を断る。

すると、この女性、バベットは、「無給でもいいから働かせてほしい」と頼む。


それで姉妹も家政婦として雇った。

14年が経った。

姉妹も村の人達も老いた。

老いて短気になる者もいた。

昔の話を持ち出して喧嘩になる人達もいた。

姉妹はその仲裁で疲れていた。

そんな頃、バベットにフランスから郵便が届く。

それはバベットが買い続けていた宝くじが当たったという知らせであった。

賞金は1万フラン。

バベットは姉妹にお願いする。

姉妹の父親であった牧師様の「生誕記念日にフランス料理の晩餐を作らせてください」と。

が、質素を宗としている姉妹は断る。

するとバベットは「費用は私がもちます」と。

ここからがクライマックスになる。

バベットはフランスに食材の買い出しに行く。

数日後に、バベットの甥が小舟いっぱいの食材を運んでくる。

姉妹は、その食材を見て驚く。

生きたままのウミガメやウズラなど、見慣れないものばかりだったから。 

姉妹は、どんな料理を食べらされるか心配になり、村人たちに料理について何も言わずに食べるように言う。

ワインも特別な上等品が届く。

晩餐会の料理をしている途中に手紙が届き、姉妹の父親の牧師を尊敬していた将軍とその伯母上の訪問の知らせであった。

将軍は若い頃、姉妹の姉に求愛したこともある。

その後、将軍は名誉も何もかも手に入れたが、今決して満たされた気持ちでいるわけではないと。

バベットは、甥にも手伝わせて様々な料理を手際よく作っていく。

テーブルのセッティングも本格的にする。

時間が来て村人たちが集まってきた。

ミサの間もバレットは料理に専念する。

最高の食材ばかりだ。

将軍と、その伯母上も到着する。

晩餐会が始まって、村人たちが、見たことも食べたこともない料理が次々と運ばれてくる。

村人たちは黙々と食べる。

が、パリに滞在したことのある将軍だけが、料理とワインの素晴らしさを口にする。




そして、この料理がパリの高級レストランのシェフの手で作られたものだと喝破する将軍。

村人達は、料理のことはわからなくても、美味しい料理を食べているうち心がほぐれて、なごやかな雰囲気になる。

それを見て、姉妹も喜ぶ。

将軍は姉妹の姉に「どこにいようとも、心はいつも一緒です」と告げる。

将軍とその伯母上が帰ってから村人たちも三々五々帰っていった。



皆が帰った後、姉妹はバベットをねぎらって「バベットがパリに帰っても忘れない」と言う。

するとバベットは「私は有名レストランのシェフでした」と白状して、「パリには戻らない」とも。

姉妹が「なぜ?」と聞くと、フランスに待ってくれている人がいないことと宝くじの賞金は、この料理に使い果たしたことを告げる。

姉妹がせっかくの賞金を使い果たしたことを驚くと、「芸術家は貧しくありません」と。


そして、「パパンさん(将軍)が世界中の芸術家の心の叫びがする」とおっしゃいましたと付け加えた。

それに対して姉妹は「天国であなたは偉大な芸術家になる」と応える。

素晴らしい映画だった。

たくさん出てきた料理も撮影したかったが、それは「映画を見てのお楽しみ」にということで。

料理は、ただ食べるだけでなく、こんなにも人の心を豊かにしてくれると教えてくれる映画だった。

それは食べた人だけでなく、作った人をも!

また、こんなに年老いても、人を思う、人に思われることの素晴らしさも同時に味わわせてもらった。


最初から悪い人は此の世にいない

2021-09-07 16:54:00 | 日記
今日も昨日もリンクさせていただいた方の記事をリンクさせていただく。




タイトルは「おもいやり」

この記事でもいろいろ考えさせられた。

私達は悪いことをした人のことを悪人と言う。

が、その事情を知ったとき果たしてその人を悪人と簡単に断罪できるかどうかということ。

自分も、その境遇におかれたら、してしまうかもしれないという悪はあると思う。


いや悪というのは全てそうかもしれない。

たとえば、第二次世界大戦で孤児になった人が、戦後、食べるものがなくて盗みを働いたとき、誰がその人を真に断罪できただろうか。

昨今のコロナパンデミックの世になって、水商売に従事していた女性が手っ取り早くお金を得ることのできるデリヘルなどの職業に鞍替えした時、それを非難することは容易いが、しかし、春を売る以外に生きる手立てを持たない女性たちを責める資格のある人は、どのくらいいるだろう。

自分を安全圏においておいて命の切岸にいる人を断罪することほどの傲慢はないと私には思える。

上にご紹介させていただいた記事を読ませていただいて、私はそんなことまで思った。

★たはやすく人を断罪するなかれ生まれながらの悪人(おにん)をらねば

紫蘇の葉でご飯の友&ペパーミントの葉でハーブ茶を作りました

2021-09-07 06:55:00 | 日記
先日買ってきた紫蘇の葉も枯れてしまわないうちに何か作らなければと思ってご飯の友を作りました。


この写真の右側の葉が買ってきた紫蘇の葉。↑

この葉を毟って、常備してある、にんにくの醤油漬けの醤油↓をかけて、

ごま油をかけて、ゴマをふりました。

炊きたての白いご飯に載せていただくと箸休めになって重宝します。

この写真の↓ペパーミントの葉も毟って、一昨日と昨日が晴天だったから、天日に干しました。
すると、こんなに嵩が減りました。
お湯を注いでいただくと爽やかなペパーミントの香りのハーブ茶に。

海苔の入っていたケースにしまいました。



★こんなにも嵩を減らしてハーブ茶になりたるペパーミントの葉つぱ

★真緑は枯れ葉色にぞなりたるがペパーミントの香りはしたり

★紫蘇の葉に大蒜醤油の醤油かけゴマ油かけご飯の友に

★熱々のご飯の上に紫蘇の葉で作りしご飯の友を載せ食ふ

★大量の紫蘇の葉紫蘇の料理には多すぎたれば置けるおかずに

昨日、夫の仕事で出た紙類をスーパーのレジ袋に入れてゴミに出しました。今朝、散歩しようとゴミ置き場を通りかかったら、その袋は破られて「事業所のゴミは出さないでください」と張り紙が。

う~ん、確かに事業所のゴミかもしれないけれど、こんなちょっぴりでも駄目なのですね。しかも袋は破られて中身が丸見えに。

それに、なんで仕事で出たゴミってわかったんだろう?

職務に忠実な市役所の職員の方々に感心するとともに、これほどまで厳しいゴミ出しに襟を正させていただきました。