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Blog種にすることでもありませんが、自分のためにしるしておきます。
父が亡くなって、もう45年が経ちました。
私は兄と二人兄妹でしたが、父は女の子がほしかったらしく、兄が生まれた時は全然喜ばなかったらしいのに、私が生まれたときは大喜びして猫可愛がりして可愛がりました。
あまりにも私ばかり可愛がるから、兄を可愛がっていた叔父(母の弟)などは兄のことを不憫がったそうでした。
父は男ばかり三人兄弟の末っ子でしたから、妹がほしくてたまらなかったそうです。
だから私が幼い頃は私に、「お兄さんと呼びなさい」などと、本気か冗談かわかりませんが、言っていました。
私は短大を卒業して銀行に就職しましたが、最初のお正月はいっぱい縁談があって、二十歳のとき九分九厘決まりかけていたのに、父が理由も言わずに反対するからお断りしたことがありました。
そのとき、母が向こうの方に断る理由を言わないといけないからと言うと、父は布団をかぶって顔を出さないのです。
それで仕方なく母が「主人がまだやりたくないようです」と断りにいってくれました。
その後は縁談が途切れて、父も、これは困ったと思ったのか常に私の写真を持ち歩いて友人とかに頼んでいました。
結婚して長女が生まれると、今度は私の長女を猫可愛がりして、当時は神戸市に住んでいましたが、しょっちゅう高知から来るのです。
そのころは、私は義母に気を使っていましたから、あまり来てほしくありませんでした。
が、私の娘が可愛くて仕方なかったようで、帰ったと思ったら、すぐまた来るのです。
長女と長男は年子で生まれましたから、その当時、55歳で定年退職した父はお守りでもしてやろうと思っていたのか、来ては長女を奈良や姫路や大阪に連れ出してくれました。
娘がお城を見たいと言えば姫路城へ、バンビを見たいと言えば奈良へと言う具合に…。
父は自分が末っ子で甘やかされて育ったから私とか娘にも甘かったのです。
が、父は昔の男でしたから、おむつも替えたことがありません。
それで当時は布おむつの時代でしたが、一歳半の長女のおむつを替えることができず、買い物して、そこのお店の人にお金を渡して、おむつを替えてもらったりしたようでした。
父なりに一生懸命私を助けているつもりだったでしょうが、あまりにもしょっちゅう来るものだから、義母に気をつかっていた私は「あまり来ないで」と言ってしまいました。
いま考えれば、可哀想なことを言ってしまったと思います。😭
父は私の長女が三歳、長男が一歳の時に亡くなりました。57歳になったばかりでした。
★ちちのみの父は死にけり壮年でわれを溺愛してゐた父は
★われのみを愛して兄をあまりにも愛さざりしはなにゆゑならむ
★贅沢に育ちし父は結婚をしても給料みな小遣ひに
★生活は祖父が賄ひ自らが稼ぎし給料みな使ひゐき
★見かねたる祖父がわたしの母親に小遣ひくれてゐたと聞きたり
★祖父死にてのちの暮らしはわが母の働きに負ふところ大きく
★躁鬱病わずらふ父の散財は時に三百万円を超えたり
★兄とわれ遊学さすため夜も昼も働き続けしわが母なりき