映画の怖い話っていう本を借りて・・・(@_@)
映画の中身というよりは、映画が本当に表現したいことの怖い話というか・・・
なんていうのか・・・
例えば、ゾンビ映画の恐怖は、当然、ゾンビが人を殺すところにあるんだけど・・・そこにはモチーフがあって、それは言ってしまえばトトロの都市伝説のような話で・・・
まあ、トトロの方は都市伝説だけど・・・こっちは・・・まあ、都市伝説なのか、その作者の考察に過ぎないのかわからないんだけど・・・
とにかく、そういう話
まだ序盤なんだけどさ・・・とりあえず、読んでいるんだけど・・・しかも、割と最近の本で、あれのことも書いてあったんだが・・・まあ、それはどうでもいいけど(@_@)
で、昔のゾンビ映画のこわい話で・・・それは某国が抱える差別的な要素や、あの目を覆いたくなるような歴史に触れられていて・・・
本来の恐怖よりも、そっちの方が怖いわ!!っていう話なんだよね
その恐怖の源流というか・・・根源というか・・・それは結局のところ人間の恐怖なんだよね
その映画の中に出てくるシーンのほとんどが、実際のニュースの映像がモチーフになっていて、そのパロディー的なことになっているっていうんだけど・・・
逆に言うと・・・ゾンビ映画のモチーフが現実の時点でかなりやばいんだけど・・・
あらかじめ言っておくけど、それはその人がその時代でリアルタイムで体験したことではないと思うから、何かの資料的なものを見て考察している可能性もあるので・・・どこまでが本当かわからない
あえてそういうのは、そうであってほしいという願いも含まれているのかもしれない
正直なことを言うと、まあ、どっちでもいいっちゃどっちでもいい(@_@)
だから、その某国の歴史的背景がなんであってもどうでもいいっちゃどうでもいいんだが・・・
差別とは・・・はっきり言って、なんで差別がいけないのかっていう根源の話というか・・・
人間は、差別すると、その差別したものをとことんアレできるんだなって
それが例え、その対象が人であったとしたら、差別した瞬間に、それは人じゃなくなるんだよね
だから、今、大体の人が、多かれ少なかれなんらかの差別的感情を持っているかもしれない
それは、言ってしまえば贔屓ぐらいのレベルの話かもしれない(@_@)
けど、本当の意味での差別はそうじゃない。贔屓は贔屓・・・それは差別ではない。なぜなら、差別なら差別と呼ぶでしょ?それだけの理由
では、差別を差別と呼ぶとき・・・何が起こるか・・・それはゾンビを倒すような感覚で・・・
で、ゾンビっていうのは、倒すのに罪悪感もなければ、むしろ達成感すらあるでしょ?もちろん、ゲームの話だけど
それが本当に、リアルと重なった時・・・人は人じゃなくなってしまうらしい