なるべく余計なことを考える(@_@)
修業中とか・・・しむけんさんのコントとかでも、座禅を組んでその後ろを坊さんが歩いて・・・で、一人の修行僧だかわからんがその後ろで立ち止まり・・・
肩にハリセンみたいなやつをトントン・・・首を傾ける弟子・・・てりゃー!!バチン!
そんな感じで、邪念を持ったりすると叩かれたりするんだけど・・・
余計なことを考えるというのも、ある分野においては効果を発揮することもあるよね
それは、恐怖を打ち消すとき
人は、いや、わからんけど、俺は、思考を2つ・・・つまり3つ以上同時に持つことができないんだよね(@_@)
思考は、むしろひとつかもしれない
ただ、何かをやっているときにほかの何かをすることは可能で、もちろん、程度も変わってくるけど・・・
例えば、ブログを書きながら音楽を聴いたり映画を見ることはできるが、それを同時進行に2つ理解しながらやることはできない
つまり、歌いながらブログを書くことは極めて困難で、歌を歌っているときは手が遅くなるか、あるいは止まってしまう
だから集中することはいいのかもしれないけど、集中しすぎるのもあれなんだよね(@_@)
人は、一つのことに集中しすぎても、あまりいいことはない
それは、集中の意味合いも変わるんだけど、例えば、運転するときに運転に集中するっていうのは、ただ前だけを見ていればいいわけではないということ
周りを見ながら、安全を確認して、前を見て・・・わき見運転とかいうが、わき見もある程度しなきゃ事故ってしまう
だからずっと前だけど見続けることはできないし、そもそも、やったとしたら当然に事故る
会話をしながら運転してもいいが、会話に集中しすぎると事故ったりもする
だから、物事一つにただただ集中するということは、ある意味で危険なのだ(@_@)
それで、どういうことかっていうと、怖いから、そのことに集中する・・・でも、集中しすぎると余計に恐ろしくなってしまうという悪循環が生まれるわけだから
出来るだけ関係ないこと・・・つまり余計なこと・・・言ってしまえば邪念をもっていたほうが、恐怖心はぬぐえるということ
もちろん、効率とかそういう問題はわからんよ
わからんけど、少なくとも、恐怖を消すには違うことをする
ほかに、ただ黙々とシャドーボクシングするよりかは、シュッシュと声を出しながら動いたほうがいい
それは、効果音をつけてやった方がかっこいいとかじゃなく・・・純粋に、2つ以上同時にやったほうが、余力を引き出すことができる
つまり、脳が本気を出すことを怖がるのを、まき散らすことができるのだ(@_@)