一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

最近の映画鑑賞

2022年02月06日 | 最近のできごと
 新型コロナ以降に多くなった一日中在宅の日で、最もワクワクするのがテレビで観る映画の時間。タイトルと製作国と制作年と監督と主役。それらを頭の中に入れておき、オープニング・クレジットが流れる時のワクワク感といったら、楽しみなどというより、最高に幸せな気分に包まれる。
 すでに観ている映画を観ることも、よくある。もちろん面白かった映画や感動した映画に限ってである。同じ映画を何度観ても私は楽しめる。中には面白かったけれど1度観ればいいという映画もある。
 同じ映画を何度も観ると、発見があったり感想が微妙に違ったりするのが、また楽しいのである。
 たとえば、『誰が為に鐘は鳴る』(アメリカ・1943年)を初めて観た時、原作の小説を読んでいたせいもあり、主演キャストも良かったし、映画も面白かったわという程度だった。
 10年以上経って、再度、観た時、あのラストシーンは最高だわと印象深く、やはり面白かった。
 何十年も経って最近3回目に観たら、
(ああ、こんなに素晴らしい映画だった、感動したわ! 監督の演出がいい! 主演キャストも他の登場人物のキャストもいい! セリフもいい! ストーリー展開もいい! カメラワークもいい! テーマ音楽もいい!)
 登場人物たちに深く感情移入してしまい、涙があふれるほど感動した。
 この映画に限ってではなく、以前に観た時は面白かったという感想が、感動した映画に変わることが多くなったのである。
 また、以前は、最後まで観る程度の面白さはあったけれど、何度も観たくなる映画ではないわねという映画を、何となく再度、観てみたら、
(この映画、面白かったわ、こんなに面白い映画だったなんて)
 というような感想になる時も、少なくない。
 面白かったという感想に変わっただけでなく、先日、『悲しみは空の彼方に』(アメリカ・1959年)を再度観たら、後半、涙があふれて止まらなくなり頬にこぼれ落ちたので、〈一時停止〉ボタンを押して隣の部屋へミニ・タオルを取りに行って拭いた。映画を観ていて中断するのは嫌いだが、リビングに戻って〈一時停止〉を解除して続きを観たら、また涙があふれてミニ・タオルを使った。
 観終えて、こんなに感動的な映画だったかしらと、映画ブログを見てみたら、ええっと驚いた。最初に観た時は、少し面白かったという感想だったのである。
 ブログのカテゴリーに、〈感動した映画〉〈面白かった映画〉〈少し面白かった映画〉〈何となく観た映画〉というように分けてあるが、12年前〈少し面白かった映画〉が、最近観たら、涙があふれるほど〈感動した映画〉に変わってしまったのである。
 そんなふうに、歳月を経て観たら、感想が変わってしまった映画が多いことに気づく。
(どうしてかしら)
 不思議。考えてみた。ふと、思いついたことは、
(一種の〈ノイズ〉が消えたせいかもしれない)
 ということだった。数年前、10年前、数十年前の私の脳・感情・感覚・潜在意識・潜在心理はノイズが充満していたのかもしれない。
 年々歳々、ノイズは薄れたり消えたりし始め……、父も母も亡くなり、親しい人たちも亡くなり、締切もなくなり、私と姉対兄との裁判も終わり、私の脳・感情・感覚・潜在意識・潜在心理に絶え間なく漂っていたさまざまな想いや喜怒哀楽ノイズが薄れたり消えたりして、ひたすら映画の世界に純粋に完璧に浸ることが可能になったせいかもしれない――などと考えたりした。
 毎朝、パソコンに向かうと、ニュース速報を読み、メール・チェックをし、Amazonプライムビデオの〈ウォッチリスト〉画面を表示させることが楽しい習慣。
〈ウォッチリスト〉に絶えず50本以上の映画を観たいリストに入れてあって、タイトルと主演キャストの写真を眼にしながら、
(今日は何を観ようかナ)
 ワクワク気分で呟く。一番多い製作国はアメリカだが、次にフランス映画を観て、次にイタリア映画を観て、またアメリカ映画を観て、スェーデンやドイツやポーランドの映画も観たいというふうに、1本ずつ製作国を変えながら選んでいく楽しさがある。
 Amazonプライムビデオはテレビで放映されない、私の好きな監督作品も少なくない。
 映画を観るのは、1日2本までと決めている。昼に1本、夜に1本。ただし、何か予定があって1本しか観ない日の翌日は、3本観ていいことに決めている。
 以前は1日3本までと決めていたが、家事が手抜きになったり、長時間ソファに座っていると筋肉が衰えてしまうと気づいたからだった。コーヒーは1日3杯まで、スイーツは昼食後だけ、などと同じように小さな決まりを最近はきちんと守れるようになった。
 ニュース速報は見出しだけ読んでいき、記事を読むのは数本。テレビの報道番組の録画は、倍速でところどころ聞くだけ。ニュース記事で頻繁に眼にするコロナの文字。報道番組で嫌気がさすほど聞くコロナの言葉。けれど周囲の身近に感染者も濃厚接触者もいないためか、新型コロナ問題がまるで別世界のできごとのように錯覚してしまう時もあるのは、就寝時も思い浮かべるほど映画の世界に惑溺しているからかもしれない。
 とは言え、早く新型コロナが終息すればいいと思っている。

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