一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

交差点の横断歩道

2017年03月10日 | 最近のできごと
 先月、スーパーへ買い物に行くため、近所の道路を歩いていた時である。目的地の3軒のスーパーは同じだが、道順は毎回変える習慣。歩きながら、考え事をするか、通りかかる店々の窓や看板を見て行く癖がある。
 その日は、受信したばかりのメール文を、何度も思い返していた。メールの内容が気にかかるわけでは、なかった。よくあることだが、メール文の最初から最後まで一字一句を、頭の中で浮かべていたのである。あることに対する感想メールで、長文ではなく短文に近いメールだが、この言葉は先だったか後だったかなどと、正確な文章を思い起こすことが楽しいのだ。歩きながらだけでなく、家事をしながらも、よくそうするが、自分が送信したメール文を思い返す時もある。
 途中、幹線道路の交差点の数メートル前で、横断歩道の黄色の信号を眼にしながらもメール文を思い浮かべ、歩道の手前で立ち止まりながらもメール文を脳裡に浮かべていた。
 信号が変わる合図のメロディが流れたとたん、反射的に横断歩道へと歩き出した。メール文が浮かぶ片隅に、信号機が緑とインプットされてしまったのである。
 数歩、進んだ時、向かい側の横断歩道の手前で、自転車に跨がって停まっているジャンパー姿の熟年男性が、私を見て、道路に並行にした右腕を大きく左右に振っている。こちらの方向に車が走行するから、横断しては駄目だと教えたのだ。3車線の道路をはさんで、私の真正面に自転車の熟年男性は信号待ちしていたので、信号が変わる合図のメロディが流れたとたん、反射的に横断歩道へと歩き出した私を眼にしたようだった。一方方向へ大きく右腕を振るしぐさを見て信号機の赤に眼をやった私は、
(あっ、いけない!)
 慌てて踵を返し、羞恥とショックで顔が熱くなった。さっき耳にした信号が変わる合図のメロディは、別方向の車の走行が緑の信号、横断歩道を渡る歩行は、赤に変わったという意味だったのである。信号機を見ないで横断歩道を渡ることは滅多にないが、メール文の一字一句を思い返すことに夢中だったせいだ。日中で、道路は混んでいなくて、私の傍を走行する車はなかったし、クラクションも鳴らされなかった。
(あの熟年男性が教えてくれなかったら、交通事故に遭ったかも……!)
 運が悪ければ、その可能性もあった。長く感じられる信号待ちの間、ショックと羞恥の感情に支配されたまま、向かい側で自転車に跨がった熟年男性の顔を見ることもできず、さっきまで頭の中で反復していたメール文も完全に消えてしまった。
 やがて、信号が変わり、緑になったのを眼で確かめてから、歩き出した。
 正面の向かい側から、自転車に跨がった熟年男性が近づいてくる。またしても顔が熱くなるのを感じながら、すれ違う時、
「どうもありがとうございました」
 と、頭を下げながら礼の言葉を口にした。ジャンパー姿の熟年男性は、「いえいえ」と、やさしい笑みを浮かべながら去って行った。
(あ、似てる……!)
 近づいた時に見た熟年男性が、従兄にちょっと似ていたのである。年齢も同じぐらい、特徴のあるやさしいまなざしと笑みが、従兄を思い出させた。
 その従兄とは、昨年、実家の集まりの日に会っただけで、その後は忘れていた。実家の集まりに出ると、親戚の1割ぐらい顔ぶれが変わる。大叔父や大伯母からその長男や長女、伯父伯母からその長男や次男というふうに。海外旅行中や、体調不良が理由だったりで、代わりに出席する親戚も。
 その従兄とは子供のころ一緒に遊んだことはなく、初対面に近い。教師をしていた伯父の話になり、その従兄も中学校教師をしていた。
「担当科目、当ててみるわね」
「うん、当てて」
「え~とね、そうね、う~ん……数学!」
 チラチラと従兄の顔を見て雰囲気を感じ取って、答えた。
「当たった」
 従兄が少し驚いたように笑った。
「あら、ほんと!」
 当てておいて当たったことに小さく驚くが、英語教師という感じではなく国語教師という感じでもなくと、消去法で数学と答えたのだった。 
 集合場所から、最寄り駅まで送ってくれた車の中で、従兄はビートルズ・ナンバーをカー・ステレオで流した。私より少し年上の、ビートルズ世代だが、教師を定年後、保護司をしているというので、その話を聞いた。自分からすすんで行う役割と私は思っていたので、
「ボランティアでしょう? そういう活動をしたいなんて、偉いのね」
 そう言うと、
「いや、頼まれて……」
 断れない感じでと、従兄は微笑混じりに言った。その活動をしている人に会ったことがないので、興味深く話を聞いた。やはり少し大変なこともあるらしかった。
 その後はビートルズの話題。グループサウンズの話。昔、流行ったグループサウンズを、テレビで見たり聴いたりしても、私はあまり惹かれなかった。
「あのころのグループの歌手はね、ジャニーズのあおい輝彦とかフォーリーブズの江木俊夫が好きだったわ」
「アハハ、若いねえ」
「テレビで見て顔とか雰囲気とか、好きなタイプ、素敵、りりしい王子様みたいって」
 従兄がまたアハハと笑った。包容力のある、穏やかで、おおらかで、やさしい表情である。
(従兄にああいう人がいたのね)
 別れた後、新鮮な発見をしたような気分だった。
 赤信号の横断歩道を渡りかけた私に、駄目と教えてくれた熟年男性が似ていた従兄を思い出し、何となく心がふんわかとなったひとときだった。


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