情緒不安定と精神不安定の日々を過ごしている。
それを知った日は、気が動転していることを自覚した。
固定電話、携帯電話、PCメール、携帯メール、パソコン、スマホ、ショートメッセージ。私の娘と2人の姪とのやり取りを何度もしながら、こんな日が来るなんてと涙があふれ続けた。
キッチンでは料理の手順を間違え、寝室ではチェストの開ける引き出しを間違え、食事の時にテレビを見ても画面が眼に入らなかった。気が動転する経験は人生で数えるくらいしかないと気づく。
2日目も私の精神状態は乱れ続け、情緒不安定の波に襲われ続けた。その日も、電話、メール、パソコン、スマホ、ショートメッセージ。
3日目はもう、限界。居ても立ってもいられなかった。
正午に自宅を後にした。コンビニに寄り、2つ買い物。駅前商店街の菓子店で買い物した後、予想外のことが起きた。顔なじみの熟年店員女性のアドバイスで、菓子を配送の手続き、郵便局で書留の手続き。姪にショートメッセージで住所の確認。
八王子へ初めて行った。自宅の最寄り駅から京王八王子駅まで、電車で30分。駅に到着して、タクシーに乗り、行き先の病院名を告げる。
運転手さんが、やたらと話しかけてくる。
聞かれて、短く答える時、思わず泣き声になった。情緒不安定と精神不安定を自覚した。自宅で何度も涙があふれたが、人前で泣きそうになるとは思わなかった。
もう私は沈黙し、察した運転手さんも話しかけて来ず、10分ぐらいで到着。
救急外来で受付、面会時間は午後2時から4時までと聞いていた。午後2時少し前だったが受け付けてくれた。
ナースステーションで声をかけ、病室を確認してから、担当看護師さんの話を希望した。
やさしくて優秀で思いやりのあるベテラン看護師さんで、ホッとした。
4人部屋の病室。初めて見る姿に、涙があふれた。
救急搬送。小脳出血。手術。リハビリ。転院の予定。流動食。昨日の嘔吐。胃腸を休めるため、点滴と酸素マスク。看護師さんから説明されたり教えられたりした。
「回復の可能性はありますか」
私は聞いた。医師から告げられた姪の言葉がかすめたが、聞かずにいられなかった。
「可能性は、あります」
看護師さんが答えた。やさしいその言葉が、うれしかった。
私が言葉をかけると、うなずくような声がした。言葉をかけるたび、声は発するが、言葉は出なかった。
「そうやって言葉をかけると、脳にいいんですよ」
看護師さんが言った。
看護師さんから、いくつか質問され、答える時、また泣き声になってしまった。私の情緒不安定と精神不安定はおさまらない。
20分ぐらい話を聞いて、看護師さんにお礼を言った。
椅子がなかったので、去り際に看護師さんは私が手に提げたままのバッグをベッドの端に置き、その端の部分に座るように言ってくれた。お礼の言葉は口にしたが、病室のベッドは狭く、腰を下ろす気になれなかった。
言葉をかけ続け、1時間以上立っていたら足が少し痛くなってきた。2時間も3時間も立ったまま仕事している高齢女性たちだっているのにと、もっと足を鍛えなくちゃと思った。手を両手で包み込むようにしながら、しゃがみ込んだり、立ったりを繰り返した。
また会いに来ると何度も言って病室を出た。受付で、胸に下げていた面会者プレートを返した時、午後4時少し前だった。
バス停を探して、帰りはバスに乗り、窓外の景色に眼をやりながら、初めて見た姿が脳裡によみがえった。一言も言葉を交わせなかったと、胸に呟いた瞬間、熱いものが喉元に突き上げ、私は泣き出していた。
その日から一週間余り、食欲があまりなく、寝付きも良くない。情緒不安定と精神不安定はまだ続いている。
それを知った日は、気が動転していることを自覚した。
固定電話、携帯電話、PCメール、携帯メール、パソコン、スマホ、ショートメッセージ。私の娘と2人の姪とのやり取りを何度もしながら、こんな日が来るなんてと涙があふれ続けた。
キッチンでは料理の手順を間違え、寝室ではチェストの開ける引き出しを間違え、食事の時にテレビを見ても画面が眼に入らなかった。気が動転する経験は人生で数えるくらいしかないと気づく。
2日目も私の精神状態は乱れ続け、情緒不安定の波に襲われ続けた。その日も、電話、メール、パソコン、スマホ、ショートメッセージ。
3日目はもう、限界。居ても立ってもいられなかった。
正午に自宅を後にした。コンビニに寄り、2つ買い物。駅前商店街の菓子店で買い物した後、予想外のことが起きた。顔なじみの熟年店員女性のアドバイスで、菓子を配送の手続き、郵便局で書留の手続き。姪にショートメッセージで住所の確認。
八王子へ初めて行った。自宅の最寄り駅から京王八王子駅まで、電車で30分。駅に到着して、タクシーに乗り、行き先の病院名を告げる。
運転手さんが、やたらと話しかけてくる。
聞かれて、短く答える時、思わず泣き声になった。情緒不安定と精神不安定を自覚した。自宅で何度も涙があふれたが、人前で泣きそうになるとは思わなかった。
もう私は沈黙し、察した運転手さんも話しかけて来ず、10分ぐらいで到着。
救急外来で受付、面会時間は午後2時から4時までと聞いていた。午後2時少し前だったが受け付けてくれた。
ナースステーションで声をかけ、病室を確認してから、担当看護師さんの話を希望した。
やさしくて優秀で思いやりのあるベテラン看護師さんで、ホッとした。
4人部屋の病室。初めて見る姿に、涙があふれた。
救急搬送。小脳出血。手術。リハビリ。転院の予定。流動食。昨日の嘔吐。胃腸を休めるため、点滴と酸素マスク。看護師さんから説明されたり教えられたりした。
「回復の可能性はありますか」
私は聞いた。医師から告げられた姪の言葉がかすめたが、聞かずにいられなかった。
「可能性は、あります」
看護師さんが答えた。やさしいその言葉が、うれしかった。
私が言葉をかけると、うなずくような声がした。言葉をかけるたび、声は発するが、言葉は出なかった。
「そうやって言葉をかけると、脳にいいんですよ」
看護師さんが言った。
看護師さんから、いくつか質問され、答える時、また泣き声になってしまった。私の情緒不安定と精神不安定はおさまらない。
20分ぐらい話を聞いて、看護師さんにお礼を言った。
椅子がなかったので、去り際に看護師さんは私が手に提げたままのバッグをベッドの端に置き、その端の部分に座るように言ってくれた。お礼の言葉は口にしたが、病室のベッドは狭く、腰を下ろす気になれなかった。
言葉をかけ続け、1時間以上立っていたら足が少し痛くなってきた。2時間も3時間も立ったまま仕事している高齢女性たちだっているのにと、もっと足を鍛えなくちゃと思った。手を両手で包み込むようにしながら、しゃがみ込んだり、立ったりを繰り返した。
また会いに来ると何度も言って病室を出た。受付で、胸に下げていた面会者プレートを返した時、午後4時少し前だった。
バス停を探して、帰りはバスに乗り、窓外の景色に眼をやりながら、初めて見た姿が脳裡によみがえった。一言も言葉を交わせなかったと、胸に呟いた瞬間、熱いものが喉元に突き上げ、私は泣き出していた。
その日から一週間余り、食欲があまりなく、寝付きも良くない。情緒不安定と精神不安定はまだ続いている。