医療従事者のワクチン接種の現場映像を、テレビの報道番組やワイドショーで何度も見た。
驚愕した。
医師も看護師も全員が、肩の近くの腕にワクチンを注射される時、顔色一つ変えないのである。
完全に無表情。
少しぐらい眉をしかめるとか、あっと痛そうに呟くとかするのではと予想していたら、はずれた。
冷静沈着。完璧な無表情顔。
注射する医師の針が、医療従事者の肩の近くの腕に突き刺さった瞬間、
「痛っ!」
と、思わず口走ってしまった。何度も見るたびに、その瞬間、目を瞑ったり眉をしかめたりしたと思う。
私の身体に注射されたのではないのに。
(カメラを意識してるから?)
(痛そうにするなんて恥ずかしいから?)
(痛そうな顔をするのは、医療従事者としてのプライドが傷つくから?)
あれこれ思いめぐらせたが、そんなことはないようだった。注射された直後の医師が、
「思ったより痛くなかったですね」
と、インタビューに答えていた。
(医療従事者って、偉い!)
つくづく尊敬した。注射される時、顔色一つ変えず、無表情であることに。やはり職業柄、注射器を見たり手にしたりすることに慣れているからだと思った。
一人ぐらいは痛そうな表情が浮かぶと思ったが、テレビで私が見た報道番組やワイドショーの映像では、完璧に一人もいなかった。
ワクチン注射は痛いという固定観念や、コロナ・ワクチンは特に痛いらしいという説などを否定し、これから接種する人たちのために言ってくれたのかもしれないとも思った。
ワクチン接種について、私の周囲では、「受ける」と「様子見」に分かれる。やはり海外でのコロナ・ワクチンの副反応の情報を聞くと、リスクや恐怖心があるから、「様子見」と答えるのは無理もないこと。概して、男性は積極的にワクチンを打ちたいという人が多く、女性は様子見が多い。男性と女性の相違がワクチン接種にも表れる。男性は強く、潔(いさぎよ)く、恐怖心をあまり抱かない人生。女性は弱く、迷いと、とまどいが多い人生。一概には言えないけれど。
医療従事者たちのワクチン接種の現場映像を見ながら、テレビ出演の医師が、
「注射は、怖いと思う人は痛いんですよ」
と、コメントしていた。目から鱗が落ちるとは、このことと、その言葉に感動した。まさに、名言中の名言。まるで注射恐怖症の私のための言葉のようにさえ感じられた。
また、別の番組の別の医師のコメントで、かかりつけの医師に接種してもらうといいとアドバイスしていたが、かかりつけの医師のいない私はどうすればいいのか。
そう言えば、インフルエンザ・ワクチン。私の周囲では、この冬に皆、接種している。当然というように、「打った」と答える。
インフルエンザ・ワクチンの接種を受けたことがない私の身体は、コロナ・ワクチンを接種して大丈夫なのだろうか。
コロナ・ワクチンを接種後に、6万人に1人とかいう確率で副反応が起こるということだが、まだ観たい映画があるから生きていたい私はどうすればいいのか。副反応と言っても頭痛や発熱や筋肉痛や倦怠感などの症状で、死ぬとは限らないかもしれないが、海外では死亡者公表、日本は現在の政府は嘘をついたり隠蔽したり滅茶苦茶なことをやりかねない気がして猜疑心と不信感が捨てきれない私は、死亡者非公表という事態にならないと言えないこともないかもしれないなどと思ったりする。
また、先月の時点でだが、テレビの報道番組やワイドショーにリモート出演を含めた医師たちのコメントがそれぞれ違っていることに気づいた。
「先生はコロナ・ワクチン、受けますか?」
という司会者の質問に、一人の医師は、「私は医療従事者だから受けます」と答え、もう一人の医師は、「それはね、まだ完全なデータがね、出てないんですよ」と、受けないとは言わないが、そう言いたげなコメント。さらに別の医師は、「えっ、受けますよ。実験台になりますよ」という答え。
同じ医師でも答え方やコメント内容が、それぞれ違う。実験台になりますよと答えた医師は、
(本当は接種したくないんだわ。実験台になりますよ、って言葉、語るに落ちる、ってことね)
と、それまで延々とコロナ・ワクチンについて専門的な言葉も混じえて説明していたが、ふいに司会者から質問され、本心の言葉が口をついて出たのではないかと想像した。
先月のことだから、このひと月間に新たなデータが多く出て、それらのコメントした医師たちの見解は変わったかもしれない。
このブログを書く時、いつもタイトルを先に決めてから本文を書く癖があるが、タイトルを、コロナ・ワクチン接種の迷い、コロナ・ワクチン接種の疑問、コロナ・ワクチン接種の覚悟、コロナ・ワクチン接種の恐怖、コロナ・ワクチン接種の、と次々と浮かんでしまった。
テレビの報道番組やワイドショーでコロナ関連の情報は食傷気味なのに、やはりコロナに対してナーバスになっている証しのような気がした。
驚愕した。
医師も看護師も全員が、肩の近くの腕にワクチンを注射される時、顔色一つ変えないのである。
完全に無表情。
少しぐらい眉をしかめるとか、あっと痛そうに呟くとかするのではと予想していたら、はずれた。
冷静沈着。完璧な無表情顔。
注射する医師の針が、医療従事者の肩の近くの腕に突き刺さった瞬間、
「痛っ!」
と、思わず口走ってしまった。何度も見るたびに、その瞬間、目を瞑ったり眉をしかめたりしたと思う。
私の身体に注射されたのではないのに。
(カメラを意識してるから?)
(痛そうにするなんて恥ずかしいから?)
(痛そうな顔をするのは、医療従事者としてのプライドが傷つくから?)
あれこれ思いめぐらせたが、そんなことはないようだった。注射された直後の医師が、
「思ったより痛くなかったですね」
と、インタビューに答えていた。
(医療従事者って、偉い!)
つくづく尊敬した。注射される時、顔色一つ変えず、無表情であることに。やはり職業柄、注射器を見たり手にしたりすることに慣れているからだと思った。
一人ぐらいは痛そうな表情が浮かぶと思ったが、テレビで私が見た報道番組やワイドショーの映像では、完璧に一人もいなかった。
ワクチン注射は痛いという固定観念や、コロナ・ワクチンは特に痛いらしいという説などを否定し、これから接種する人たちのために言ってくれたのかもしれないとも思った。
ワクチン接種について、私の周囲では、「受ける」と「様子見」に分かれる。やはり海外でのコロナ・ワクチンの副反応の情報を聞くと、リスクや恐怖心があるから、「様子見」と答えるのは無理もないこと。概して、男性は積極的にワクチンを打ちたいという人が多く、女性は様子見が多い。男性と女性の相違がワクチン接種にも表れる。男性は強く、潔(いさぎよ)く、恐怖心をあまり抱かない人生。女性は弱く、迷いと、とまどいが多い人生。一概には言えないけれど。
医療従事者たちのワクチン接種の現場映像を見ながら、テレビ出演の医師が、
「注射は、怖いと思う人は痛いんですよ」
と、コメントしていた。目から鱗が落ちるとは、このことと、その言葉に感動した。まさに、名言中の名言。まるで注射恐怖症の私のための言葉のようにさえ感じられた。
また、別の番組の別の医師のコメントで、かかりつけの医師に接種してもらうといいとアドバイスしていたが、かかりつけの医師のいない私はどうすればいいのか。
そう言えば、インフルエンザ・ワクチン。私の周囲では、この冬に皆、接種している。当然というように、「打った」と答える。
インフルエンザ・ワクチンの接種を受けたことがない私の身体は、コロナ・ワクチンを接種して大丈夫なのだろうか。
コロナ・ワクチンを接種後に、6万人に1人とかいう確率で副反応が起こるということだが、まだ観たい映画があるから生きていたい私はどうすればいいのか。副反応と言っても頭痛や発熱や筋肉痛や倦怠感などの症状で、死ぬとは限らないかもしれないが、海外では死亡者公表、日本は現在の政府は嘘をついたり隠蔽したり滅茶苦茶なことをやりかねない気がして猜疑心と不信感が捨てきれない私は、死亡者非公表という事態にならないと言えないこともないかもしれないなどと思ったりする。
また、先月の時点でだが、テレビの報道番組やワイドショーにリモート出演を含めた医師たちのコメントがそれぞれ違っていることに気づいた。
「先生はコロナ・ワクチン、受けますか?」
という司会者の質問に、一人の医師は、「私は医療従事者だから受けます」と答え、もう一人の医師は、「それはね、まだ完全なデータがね、出てないんですよ」と、受けないとは言わないが、そう言いたげなコメント。さらに別の医師は、「えっ、受けますよ。実験台になりますよ」という答え。
同じ医師でも答え方やコメント内容が、それぞれ違う。実験台になりますよと答えた医師は、
(本当は接種したくないんだわ。実験台になりますよ、って言葉、語るに落ちる、ってことね)
と、それまで延々とコロナ・ワクチンについて専門的な言葉も混じえて説明していたが、ふいに司会者から質問され、本心の言葉が口をついて出たのではないかと想像した。
先月のことだから、このひと月間に新たなデータが多く出て、それらのコメントした医師たちの見解は変わったかもしれない。
このブログを書く時、いつもタイトルを先に決めてから本文を書く癖があるが、タイトルを、コロナ・ワクチン接種の迷い、コロナ・ワクチン接種の疑問、コロナ・ワクチン接種の覚悟、コロナ・ワクチン接種の恐怖、コロナ・ワクチン接種の、と次々と浮かんでしまった。
テレビの報道番組やワイドショーでコロナ関連の情報は食傷気味なのに、やはりコロナに対してナーバスになっている証しのような気がした。