前回に引き続き、引き寄せ習慣2ヶ月経過の成果を記録しています。怒りのコントロールに成功した私ですが、もう一つの湧き上がるネガティブな感情に悩まされます。
不幸を撒き散らすものの正体
いくらネガティブな感情を見張っていても、怒りをコントロールできても次から次へとイライラやモヤモヤした感情が湧いてくる。
悪い言葉を口にしてないのに、どうにも同じくらいの締め付けや焦熱感が胸のあたりでうずいてくる。これは何なんだと見張っていたら、見つかりました。
こんなことを思っている時です。
「どうせ、私なんて…」
「私なんて価値がないんだ」
「何もできないんだ。能力ないんだ」
「もっと〇〇ができたら…」
「あの人はこんなにすごいのに、それに比べて私は…」
自己否定です。
どうにも自分のことが嫌いなのです。自分を過小評価する、何も価値がないと思いこんでいる。
これは昔からのクセで、なかなかに手強いものがありました。
何かにつけて自分を下げる、目立たないようにしていれば、その場は波風立たず過ぎ去っていく。自分を下げつつ相手を立ててやって、相手の気分が良くなるのを見ては、せめてお役に立てたかな、などと自嘲する。
そんなことをしていると、一日の終わり、すなわち寝る直前にそれは来ます。
「何でまたあんなこと言っちゃったんだろう…」と言い始めたが最後、自己嫌悪の渦に飲み込まれ、自己否定が襲ってくる。
そうこうしているうちに今度は、ドス黒い波が心を押し潰して来ます。波は冷たくて、それでいて口から心に入り込んでくると、焼け付くように熱くて痛い。全身から生きる力をごっそり抜き取られて、もはや消えてしまいたくなるような苦しみにもがき苦しむ。
それを振り払うかのように、ネットで同じような気持ちでいる人がいないか探して安堵する。「何だ。自分だけじゃない。みんな苦しんでるんじゃないか」
挙げ句の果てには、世間のせいだ、親が悪い、社会が悪い、会社、学校、あれが悪いこれが悪いと叫んでいるのを見ては、そうだそうだの大号令。すっかり気を取り戻して寝るも寝不足でスッキリ目覚めない。
こんなことを続けて、自己肯定感どん底のまま何も成せずただただ人生の消耗を繰り返していく。
何だかおぞましい表現となりましたが、自己否定の闇に落ちると、実際にこんな感じになります。何で生きてるのかと何度も何度も自問自答して答えが出ず、悶々とした日々を過ごす。当然、満たされないので、愚痴や不平不満、文句、泣き言、言い訳、およそネガティブなものは全て口で吐き出したくなる。
それでも、今回の私は違う。五戒は絶対に口にしないと決めたのだ。グッとこらえて外に出ないようにする
ところが表情には出てしまうのですね。「顔に書いてある」「目は口ほどに物を言う」ということです
全く成長していない…
有名な先生のお言葉が頭をよぎったとき、別の先生から新たな言葉をもらいました。
あんた、それ迷惑なんだよ!
斎藤一人さんの言葉です。「ネガティブな感情を生み出して、周りに不幸を振りまいているような人は、周りの人たちの波動を下げ、迷惑をかけている」というのです。
斎藤一人さんはお店にこういうお客が来たら、エネルギーを吸い取られるので、自分の本を渡して「これ読んでからまた来て」と言って追い返すそうです。
これを聞いて、グサッと来ました
自己肯定感の低さというのは、元はというと相手に迷惑をかけないようにと始めているはずです。相手の気分を下げないように、怒らせないように、空気を読んで自分は下手に出て…
ところが気がつけば、不幸の塊みたいになって、人の波動や気分まで下げるような、はた迷惑なヤツになってしまっていたという何とも皮肉な話です。
自己肯定感の低さや自己否定は「相手に迷惑をかけまい、だからこそ自分はもっと頑張らないといけないんだ」とする気持ちからだということに気づき、そしてこれが人の迷惑になっているということを認識した瞬間、自己否定の悪魔は消えてしまっていました。
他の人に迷惑をかけないようにするには、「自己否定して波動を下げていてはいけない」
自己否定は他人のためになっていないと考えるとどうでしょう。今度は、「周りの人のためにも、自己肯定感を上げていかなければ!」
となったのです。
ここからは早かったです。
日々の感謝日記で、日々自分ができたことをほめちぎっては、それを実現させてくれた他の人の存在、神様の大いなる力、そして自分の中の能力にひたすら感謝する日々でした。
結果、約2週間足らずで自己肯定感の悪魔とオサラバできました
今でも時に自己否定が襲って来そうになったり、自画自賛にこそばゆい時もありますが、そこは「周りの人のためにも、自己肯定できるところにフォーカスしよう」と言い聞かせると、スッと気持ちが落ち着きます。
ということで、ここまでで獲得したもの
▪️自己否定耐性
▪️自己肯定感上昇
▪️自己礼賛
▪️感謝の心
▪️他者への思いやり
明日も成果の一つである、もう一人の自分との対話について書きたいと思います。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました
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