「ぼく」は今でこそ、一般的に使ってもおかしくはないとなっている自称だ。
しかし、かつては男でも女でも「ぼく」は使うのはおかしいものだった。
例えば、時代物書いていて、若君が「ぼく」っていうのはおかしい。
私はそこまで意識していないからあれだけど、言われたとき、ちょっと考えたけど、納得した。
「ぼく」って「僕」……つまり、「下僕」の「ぼく」なんだよね。
これに気づいて設定考えるときどうしようか考えた。
とはいえ、考えただけで「僕」っていう、貴族の若君普通に書いているけどね。
あと「おれ(おら)」は男女問わず使う一人称だったと聞いて「へ?」だった。
一方で、時代物見れば、確かに「おれ(おら)」っていているわ、女も。
そもそも、今は「わたし」を「私」と書いているけれども、「私」はもともとは「わたくし」であるわけだし。文章読んで「私=わたし」で通しちゃうし、そう書く。
言葉は流動的であるということは理解する。
まぁ、一人称については、必要以上に動いていないと思う(思っているだけかも?)。
話し言葉は伝えることを考えると、流動的とはいえ、展開早いと通じなくなる恐怖がある。
なお、私がいまだにわかっていないのは――
「それな」は結局「それだよね」か「それはない」なのか、
「歴女」は「歴史好き女子」なのか「BL系を絡めた歴史好き女子」なのか、
あたりかなぁ。
「腐女子」は「同人誌をしている女子」ではなく、「BL好き女子」というタイプで決着ついたような。
まぁ、言葉って難しいねぇ。
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