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映画ー三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実

今回は映画の話題。
8月6日木曜に見た「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」です。
近現代史をやるには時代背景をイメージすることが重要。時代背景を感じられるれ歴史の記録的な映画は是非見ておきたいと思い見ました。
3月下旬に公開されたものの、そのまま緊急事態宣言に入り有耶無耶になったと思いきや「あつぎのえいがかんkiki 」で上映されているのを知って見れました。

映画の内容は1969年5月13日東京大学の駒場900番教室で行われた三島由紀夫と東大全共闘の討論会の模様をTBSが当時撮影し秘蔵していたVTRの映像による討論会の模様を中心に、三島由紀夫の生い立ちの紹介と当時の討論会の参加メンバーや三島と親交があった人物、現代の研究者によるインタビューを交えながらに構成されたドキュメンタリー。形としては映画となっているものの、ドキュメンタリー番組のような構成の映画としては異色のものです。



当時天才作家と評され日本を代表する作家三島由紀夫と前衛派の東大生の討論だけあって内容は非常に難しいですね。特に前半の「解放区」に関するやりとりなど哲学的かつ抽象的で予備知識がないと分かりづらいかなと思いました。

対立する三島由紀夫と全共闘。全共闘側は三島を論破して自決させると息巻く一方で三島は1000人聴衆を言葉で説得しようという言論を武器にする文学者らしさを見せます。
実際の討論の内容では三島の発言に会場から笑いが出たり、司会が間違えて「三島先生」と呼ぶも「東大の教師どもに較べれば三島さんの方がよほど先生と呼ぶに相応しい」と取り繕い?会場がウケるなど、敵対的な討論会のようには今一つ見えない、お互いに敬意を持っていたように感じます。

結果として、60年安保闘争に端を発した1969年頃までは東大全共闘の本質は「反米愛国運動」、これは三島由紀夫も同じであり、対立しているかのように見えた両者の目指すところは一緒だった。という結論を得ますが、これはこの討論で分かったといいうよりもお互い薄々感じていたのをこの討論で確認した。というのが実際なのかなと・・。

今まで三島由紀夫の映像は市ヶ谷での自決の場面でしか見たことがありませんでしたが、この討論での当時の映像の三島由紀夫は若々しく精力的で魅力的に映りました。それだけにこの翌年1970年11月に自衛隊の市谷駐屯地で自決したのは残念です。

また三島由紀夫の政治思想に関しては「日本政治思想史:原武史著(放送大学)」の第15章で紙数を割いて紹介しています。
これを読んだ際に私は、三島の政治活動や自決は「終戦で日本の価値観が大きく転換した中で人の心はそう簡単に転換できない。三島由紀夫の「戦中期に青年時代を過ごした者としての生き残ったものの苦悩」の故のもので、まるで西郷隆盛が不平士族を率いて西南戦争に向かった姿を重ねました。

今まで私は60年安保闘争について米国の戦争に日本が巻き込まれることや相次ぐ墜落事故など戦争と平和、基地問題的な視点で捉えていましたが、この映画を見て反米愛国的な面、すなわち戦後15年経ってもなお首都上空の制空権を握られ基地の接収は続いたまま、沖縄は米国にとられたまま「これからも日本は米国に頭を押さえられながら、隷属しなければいけないのか?」という日本の誇りとしての視点があることに気が付きました。

一方で60年代から70年代になり、戦争の記憶が遠ざかる中で高度経済成長期になり、対米隷属を意識しなくなり反米愛国意識が薄れる中で「振り上げた拳の落としどころ」として三島は自決を選び、着地点を失った全共闘は後年の「あさま山荘事件」のような形で内部から崩壊していったのかもしれません。
こういった背景を考えると「自決は残念」と軽々しく評することも三島由紀夫氏に対して失礼になるのではないかとも感じてしまいます。
今まで私は三島由紀夫の存在は知っているものの、著作をまともに読んだことはありませんでしたがこれを機に読んでもっと三島由紀夫に触れたいものです。


2020/8/7 20:05(JST)
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