どうも、Klowですお早うございます。
突然ですが。皆さんはTwitterを彷徨ってると、「フィクションの表現に目くじら立てて噴き上がってるフェミニスト」…という光景を見た事は無いでしょうか。
私は有ります。そりゃもう腐る程。
なんで、自分は
「あーあ、まぁたフェミニスト(笑)の皆さんが虚構を真に受けて噴き上がってるよ。もうどっか行ってくれよ」
と、正直うんざりしてましたし、ぶっちゃけそのフェミニストの皆さんってのはこう言っちゃ悪いですが、
幾ら言葉を重ねようが、自分の気に入らない物を排除しようとしてるだけにしか見えなかったので、まともに取り合うだけ無駄だから無視に限る……と思ってたんですね。
しかし、そんなフェミニスト寄りの方の言葉を見てると、少し興味深いものがありました。それが、
「現実と虚構表現は別物ではなく、地続きである」(※要約)
というもの。でもって、
「地続きだからこそ、『意識は影響し合い、作用し合う事』を理解することこそ、区別の第一歩なのではないか」
「フィクションは現実と関係ないと言うだけでは、表現の持つパワーから目を背けるだけ」
「『都合のいい消費と認識』があるだけで、現実とフィクションは切り離せはしない」
(※全て要約)
とも続けていて、フェミニストの皆さんはそれ即ち「俺のような『オタク共にウケそうな表現』に難癖付けて阻害するクソ野郎共」という認識を示していた俺的には、
「その言い分なら一理あるな」と、深く頷いてしまったのでした。
…と、思ったはいいものの。ブログを書きながらこの言葉の真意とか、言わんとしてることを汲み取ろうとしながら、
「コレって割と俺みたいなオタクっぽい人なら、常識的に出来て居る事なんじゃないのかな」とは思ったりしています。少なくとも、自分は結構出来てるつもりです。
割と、フィクションの世界に登場させる物事(登場人物から事象、建物や兵器に至るまで)って現実から生まれてる事が多々ありますし、
フィクションの世界で描かれたモノを現実に何とか再現しようとする人なんかも中にはいますから、意識は影響し合い、作用しあうってのは、あながち間違いじゃないんですよね。
実際、自分もとある女性国会議員のヒステリック振りを見て「あぁこういう悪役作れそう…」と思って頭をひねった事とかありますし、
何より去年のデレ総選挙での自分の暴走は、「フィクションの世界に影響され過ぎた結果」ですからね。
えっ、開幕「このハゲぇぇぇ!!!」ですよ。悪役感たっぷりじゃないっすか。
だからこそ、ぶっちゃけて言うとあの時を踏まえての1年間で、デレマスやその他フィクションのものに対する向き合い方ってのが変わったんですよ。
特にデレマスに関しては自分の中で「越えてはいけないボーダーラインと、それを越えないためのルールの定義」が進みました。例えば、
「投票するにしたって1位にする事に拘り過ぎない」とか、「キャラに対して『この子はこう!』っていうイメージを固め過ぎない」とか、
「もし、そういうイメージをブチ壊すような展開を仕掛けてきたら講義するのではなく噛み締めてみる」とか。
あともう一つデカいのが「ガチ勢の言葉に耳を傾け過ぎない」という事ですね。
と言うのもですね、自分って考えれば人に影響されやすい節がありまして。俺はあの時、いろんな人の言葉をたくさん吸収し過ぎて、
「今年こそは菜々を1位にしてやるんだ…俺が投票に貢献するんだ…」って、執念に捕われた結果、暴走を起こして兄弟と呼ぶフォロワーさんにむやみやたらとデレマス布教してみたり、
「SR以下はゴミって書いておけよ」という他のゲームを指した言葉に「じゃあ俺の自担は限定SR・SSRが無い(※当時)のでゴミしかない無価値なキャラって事にならない??」ってキレたり。
今自分のやって来た愚行を思い返すと、完ッ全にこじらせたプロデューサーでしたね、あの時…
…と、大分話がそれてるような気がしますが。つまり、俺はこの理論で行くと虚構の意識に影響され、作用され過ぎた結果がコレだったので、私の経験を踏まえて先ほどの理論を照らし合わせれば
「どんだけ『現実とフィクションは関係ない』って言っても関係があって、表現には強烈なパワーがある」
ってコトはお分かりだと思います。じゃあどうすればいいの?って話なんですけど、オタク側の人間的の考えとしては、この事実をしっかりと理解し、
フィクションの表現を楽しめばいいんじゃないかなー、と思う訳です。難しく考えて難しく締めようと思ったけど、
自分は表現する作りてではなく、受け取り手側の人間である以上、現実とフィクションは違う…と言うと、ちょっと語弊があるんじゃないかな?と、
意識改革をしていけばいいんじゃないかなと思う訳です。
誰かがこの記事を読み、意識改革に繋げて行ってくれれば…と願いつつ、お終いとさせて頂くことにして。
突然ですが。皆さんはTwitterを彷徨ってると、「フィクションの表現に目くじら立てて噴き上がってるフェミニスト」…という光景を見た事は無いでしょうか。
私は有ります。そりゃもう腐る程。
なんで、自分は
「あーあ、まぁたフェミニスト(笑)の皆さんが虚構を真に受けて噴き上がってるよ。もうどっか行ってくれよ」
と、正直うんざりしてましたし、ぶっちゃけそのフェミニストの皆さんってのはこう言っちゃ悪いですが、
幾ら言葉を重ねようが、自分の気に入らない物を排除しようとしてるだけにしか見えなかったので、まともに取り合うだけ無駄だから無視に限る……と思ってたんですね。
しかし、そんなフェミニスト寄りの方の言葉を見てると、少し興味深いものがありました。それが、
「現実と虚構表現は別物ではなく、地続きである」(※要約)
というもの。でもって、
「地続きだからこそ、『意識は影響し合い、作用し合う事』を理解することこそ、区別の第一歩なのではないか」
「フィクションは現実と関係ないと言うだけでは、表現の持つパワーから目を背けるだけ」
「『都合のいい消費と認識』があるだけで、現実とフィクションは切り離せはしない」
(※全て要約)
とも続けていて、フェミニストの皆さんはそれ即ち「俺のような『オタク共にウケそうな表現』に難癖付けて阻害するクソ野郎共」という認識を示していた俺的には、
「その言い分なら一理あるな」と、深く頷いてしまったのでした。
…と、思ったはいいものの。ブログを書きながらこの言葉の真意とか、言わんとしてることを汲み取ろうとしながら、
「コレって割と俺みたいなオタクっぽい人なら、常識的に出来て居る事なんじゃないのかな」とは思ったりしています。少なくとも、自分は結構出来てるつもりです。
割と、フィクションの世界に登場させる物事(登場人物から事象、建物や兵器に至るまで)って現実から生まれてる事が多々ありますし、
フィクションの世界で描かれたモノを現実に何とか再現しようとする人なんかも中にはいますから、意識は影響し合い、作用しあうってのは、あながち間違いじゃないんですよね。
実際、自分もとある女性国会議員のヒステリック振りを見て「あぁこういう悪役作れそう…」と思って頭をひねった事とかありますし、
何より去年のデレ総選挙での自分の暴走は、「フィクションの世界に影響され過ぎた結果」ですからね。
だからこそ、ぶっちゃけて言うとあの時を踏まえての1年間で、デレマスやその他フィクションのものに対する向き合い方ってのが変わったんですよ。
特にデレマスに関しては自分の中で「越えてはいけないボーダーラインと、それを越えないためのルールの定義」が進みました。例えば、
「投票するにしたって1位にする事に拘り過ぎない」とか、「キャラに対して『この子はこう!』っていうイメージを固め過ぎない」とか、
「もし、そういうイメージをブチ壊すような展開を仕掛けてきたら講義するのではなく噛み締めてみる」とか。
あともう一つデカいのが「ガチ勢の言葉に耳を傾け過ぎない」という事ですね。
と言うのもですね、自分って考えれば人に影響されやすい節がありまして。俺はあの時、いろんな人の言葉をたくさん吸収し過ぎて、
「今年こそは菜々を1位にしてやるんだ…俺が投票に貢献するんだ…」って、執念に捕われた結果、暴走を起こして兄弟と呼ぶフォロワーさんにむやみやたらとデレマス布教してみたり、
「SR以下はゴミって書いておけよ」という他のゲームを指した言葉に「じゃあ俺の自担は限定SR・SSRが無い(※当時)のでゴミしかない無価値なキャラって事にならない??」ってキレたり。
今自分のやって来た愚行を思い返すと、完ッ全にこじらせたプロデューサーでしたね、あの時…
…と、大分話がそれてるような気がしますが。つまり、俺はこの理論で行くと虚構の意識に影響され、作用され過ぎた結果がコレだったので、私の経験を踏まえて先ほどの理論を照らし合わせれば
「どんだけ『現実とフィクションは関係ない』って言っても関係があって、表現には強烈なパワーがある」
ってコトはお分かりだと思います。じゃあどうすればいいの?って話なんですけど、オタク側の人間的の考えとしては、この事実をしっかりと理解し、
フィクションの表現を楽しめばいいんじゃないかなー、と思う訳です。難しく考えて難しく締めようと思ったけど、
自分は表現する作りてではなく、受け取り手側の人間である以上、現実とフィクションは違う…と言うと、ちょっと語弊があるんじゃないかな?と、
意識改革をしていけばいいんじゃないかなと思う訳です。
誰かがこの記事を読み、意識改革に繋げて行ってくれれば…と願いつつ、お終いとさせて頂くことにして。
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