先日久し振りに訪れた大阪難波のビックカメラの南側出入り口前正面、大阪千日前にある
創業103年を誇る名物カレーで有名な洋食屋「自由軒」です。
現、女将さんの等身大パネルが大変目立ちますね!
大正から昭和へと時代が変わり、十数年経った頃、一人の男性が自由軒を訪れるようになりました。
彼の名は織田作之助、後に不朽の名作「夫婦善哉」を生み出すことになる稀代の小説家です。
当時この店の生玉子を真ん中に乗せたカレーライスを大変気に入りほとんど毎日店に訪れ、名物カレーライスを食べコーヒーを飲みながら「夫婦善哉」を執筆していました。
先日NHKで放送されていました「夫婦善哉」の第1話でもこの自由軒のカレーライスを主人公の柳吉役の森山未来と蝶子役の尾野真千子が二人で美味そうに食べるシーンがあります。
放蕩若旦那、大金持ちのぼんぼんの柳吉が「こんなうまいもん食べんと死ぬ奴はあほやー」と言うドラマの場面は織田作がいかにこの名物カレーライスに陶酔していたかがわかる!
ですから名作「夫婦善哉」はこの店が発祥の地なんだなー。
店内には織田作之助が遺した名言が織田作本人に承諾を得て自由軒でコーヒーを飲みながら「夫婦善哉」を執筆している
写真と共に額に入れられ飾ってあります。
「トラは死んで皮をのこす、織田作死んでカレーライスをのこす」~なかなか名言ですね~。
大正2年、私の自宅からチャリンコで約10分の大阪の谷町筋の生玉神社で有名な南区(現、天王寺区)生玉前町の貧民窟の長屋で生まれ、いわしなどを売り歩く仕出屋の両親に育てられたが織田作が10代の時その両親も他界し嫁いだ姉の援助で高津中(現、大阪府立高津高校 )から旧制三高(現、京都大学教養部)に進むが夫婦善哉の主人公のように放蕩三昧で中退。
学生時代に知り合った宮田一枝と結婚するが妻一枝は癌でわずか数年後の昭和19年に他界、作之助自身も終戦直後の昭和22年結核をこじらせ頻繁な吐血の後、東京で大喀血をおこし、わずか33歳の若さでで亡くなるという~
夫婦ともどもどうにもやるせないほどの短命、薄幸な人生であるが、太く短く本人にすれば納得の人生だったんですかね~!
大阪の、いや私のご近所の誇りです、そういえば僕が小学生の頃母に連れられ自由軒の隣にあった映画館で映画を見て自由軒で名物カレーを食べたのを思い出しましたよ!