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どうも、こんにちは。
シリーズ前々回と前回に引き続いて、粟田神社の「夜渡り神事」についてとりあげます。
今回はその「夜渡り神事」の途中に、「瓜が生えて八坂神社の祭神・牛頭天王が降臨した」という伝承の遺る「瓜生石」で行われる「れいけん祭」の様子をお届けします。
シリーズ前回の途中、大燈呂の巡行行列が、三条通りから神宮道通りを南へ進み。
そして知恩院の黒門前、あの「瓜生石」のある丁字路へ。
普段の黒門前及び「瓜生石」はこんな感じ(※第88回記事より)ですが。
「れいけん祭」の前には、祭壇が設けられ、粟田神社神職の皆さんが待機しておられます。
普段は閉められたままの黒門が開かれ、知恩院の僧侶の皆さんがそこから降りてこられます。
粟田神社の神職と、知恩院の僧侶とが一堂に会します。
粟田神社の宮司が神前に礼拝し、神職、僧侶が相互に礼を交わします。
祭神・スサノオや相槌稲荷など、粟田神社や摂末社で祀られている神様を象った大燈呂が、祭壇と瓜生石の背後へ。
つまり、祭壇前の神職や僧侶の皆さんも、スサノオを象った大燈呂にも礼拝する形になります。
あまり上手く撮れて無くてすみませんが、神職によりお祓いが。
神主が祝詞を奏上している後ろで僧侶が拝んでいたり。
逆に、僧侶が般若心経を唱えている後ろで神職が礼拝していたり。
何か奇妙な、というより珍しい光景に思えます。
特に、浄土宗とか浄土真宗というのはもっと合理的な教えだと思っていた(注:筆者の実家は浄土真宗、母方の実家は浄土宗ですので・・・)のですが、「瓜生石」を拝んでいるという光景には、正直「おや? いいの?」という気がしないでもないです。
しかしながら、こういう悪く言えばゆるい、良く言えば柔軟で寛容な「神仏習合」こそが本来の、より古く、歴史の長い日本の信仰の形であったのだと思えば、これもまた面白く、興味深いものです。
その後、一同は「瓜生石」の周りを3回回ります。
こうして「れいけん祭」も無事終わり、巡行は氏子町内を回り、粟田神社へと帰っていきます。
また来年。
今回はここまで。
また次回。
*粟田神社へのアクセス、周辺地図はこちらをご覧下さい。
*粟田神社のHP
https://awatajinja.jp/
*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/
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