京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(71):愛宕道を行く(その2)




 前回からの続きで、嵯峨・薬師寺から化野念仏寺まで、「愛宕道」と言われる道を歩き続けます。

 さる8月24日、“生の六道”こと嵯峨・薬師寺の「地蔵盆」に参加し、それからさらに化野念仏寺の「千灯供養祭」に参加するために。

 愛宕山は、古くから天狗や火の神様が住む聖地であり、死者が宿る異界とも考えられていました。
 山には修験者、麓には多くの僧が居ました。

 そんな聖地・霊場へと続く道を、私は進んでいるのです。
前回、藤原定家の山荘跡だった「厭離庵(えんりあん)」から道に戻ります。





 風情のある、古そうな造りの家が見られます。
 京都の町屋みたいです。

 ご覧のように、まだ猛暑と刺すような強い日射しの残る頃です。


 しばらく進むと、檀林寺の前に到着しました。



 


 檀林寺とは、嵯峨天皇の后・檀林皇后こと、橘嘉智子(たちばなのかちこ、786~850年)によって創建された日本最初の禅院として知られています。
 檀林皇后は仏教への信仰が篤く、また類い希なる麗人としても有名です。

 シリーズ第53回の「六道まいり:西福寺」でもとりあげたことがあります。
 檀林皇后の遺体が腐り、朽ち果てていく様を描いた「檀林皇后九相図」も紹介しましたが、「これは彼女自身が、人々に世の無常を説くために、あえて自分の遺体が朽ちていく様を絵に描かせて、晒し続けたのだ」という逸話も伝えられています。






 檀林寺前よりさらに奥の方には、『平家物語』でも有名な白拍子・祇王(ぎおう)御前や仏御前にゆかりある古刹・祇王寺もあります。

 そこにも、ゆっくりと寄っていきたかったのですが……。
 やはり、今回の第一目的は化野念仏寺の「千灯供養祭」なので、先を急ぐことにします。
 でも、紅葉の時期にでも訪れていればよかったかなあ、とも今更ながらに思います。今頃はもう散りはじめているのでしょうが……。


 さらに西へと、道を進んでいきます。












 この辺り、いかにも京都・嵯峨野という感じですね。
 なお、道端のあっちこっちに手製の灯籠などが並んでいましたが、それらは「千灯供養祭」にあわせて行われる「あたご古街道道灯し」というイベントで使われるものだそうです。
 全国から公募されたものや、嵯峨美術大学の学生さんたちが嵯峨野の竹を使って製作したものなどがあるそうです。


 路傍の三又路に祀られている「八体地蔵」です。






 この三又路のすぐ近くには、瀬戸内寂聴さんの自坊「寂庵」があるそうです。


 さらに進んでいきます。
 この辺りは、もう「鳥居本」と呼ばれる地域でしょうか?





















 愛宕詣での門前町であり、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている鳥居本。
 何とも言えない独特の風情があり、女性にも人気のスポットだということです。


 ようやく、目的地・化野念仏寺の入り口に到着しました。






 それでは、今回はここまで。
 シリーズ次回では、化野念仏寺の「千灯供養祭」の様子を記事にします。


 


 祇王寺やその周辺の地図は、こちらをご覧ください。




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm





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