このところ祇園祭の話ばっかりなので、そこから少しはなれてみます(笑)。
今回は、このシリーズにふさわしく、鬼や妖怪に関係のある場所を紹介します。
それも、平安時代に起こったという妖怪による(と伝えられた)殺人事件の現場跡です。
内裏(つまり昔の御所)の敷地内に、「宴の松原」と呼ばれる松林がありました。
昼なお薄暗い気味の悪い場所だったそうで、鬼が出没するとも言われました。
何のためにこのような松林があったのか?
内裏の建て替え用地だったなど、様々な説がありますが、詳しいことは現在では不明だそうです。
そんな不気味な場所に関して、『今昔物語』や『今昔著聞集』などに次のような話が残されています。
小松天皇の時代、8月17日の月の明るい夜中、「宴の松原」の辺りを若い女官3人が歩いてきました。
その時、松林の中から一人の美男子が声をかけてきました。
その美男子は、3人の女官のうち一人の手をとってそのまま松林の中へ入っていきました。
残された2人は、すぐに戻るだろうと思って待っていましたが、一向に戻ってきません。
何かあったのかと思って、松林の中に様子を見に行くと‥‥。
なんとそこには、バラバラになった女の手足が転がっていました。
これに驚いた女官2人は、警護の兵のところへ逃げ、ことの仔細を話しました。
警護の兵が現場へ行くと、手足はあったが、女官の身体のほかの部分はどこにもなかったのです。
「これは、鬼が人間に化けて女を喰らったのだろう」と、人々は伝えたということです‥‥。
この他にも、藤原道隆(953~995年)が肝試しの途中で得体の知れない声を聞き,逃げ帰った話などが伝わっています。
今でいう猟奇殺人事件かもしれませんが、こういう事件も当時の感覚では「鬼や妖怪に仕業」と考えられたもかもしれません。
そんな恐ろしい話が伝わっている場所が‥‥より正確には、その場所の跡を示す石碑が、京都市内に残されているという話を聞き、訪れてみました。
京都市内、千本通りと出水通りとが交わる交差点の付近です。
ご覧のとおり、真夜中の時間帯に訪れました。
今回はあえて‥‥女官が食い殺されたという夜遅い時間帯に、ね。
念のため、京都市内の寺社仏閣にお参りし、お守りも持参していきました。
その交差点から、出水通りを西へ進みます。
少し西へ歩きますと、左手に芳村石材店という石材屋さんが見えてきます。
ちなみに言いますと、この芳村石材店さんは、あの晴明神社の境内の工事や、豊国神社参道の石垣工事など、京都市内のいくつかの文化遺産の修復工事等にも実績のある業者さんだそうです。
‥‥と、そういう話はさておき。
この芳村石材店さんのビルの角に、何やら変わった石碑や灯籠が立っていました。
ちょっと近づいてみます。
ここが、あの恐ろしい伝説の残る「宴の松原」‥‥の跡地のようです。
それを示す問題の石碑にもっと近づいて見ます。
確かに「宴松原」と刻まれていました。
なお、この石碑の他にも、以下のようなものも。
「あはれにも 今は限りと思いしを まためぐりあふ えんの松はら」という『栄花物語』に書かれていた歌です。
なお、かつての内裏(御所)は、現在の御所よりおよそ1キロほど西にあったそうです。
ですから、今では何気ない町中になっているこの場所も、平安時代は御所の敷地内だったのです。
そしてここが、伝説の妖怪スポットで、平安時代の猟奇殺人事件の現場だったのです。
でも‥‥幸い何も起こりませんでした。
ほっとしたような、ちょっと残念なようでもある、複雑な気持ちになりました。
もっともこんな時間帯でも、近隣住民の方が何人も通っていきました。
シリーズ第16回『花山トンネル』の時でもそうでしたが、「妖怪スポット」とか「心霊スポット」などとは言っても、近隣住民の方々にとっては、生活空間の一部なのですから、どうってことはない場合もあるのですよね(笑)。
また、すぐこの近くにはもうひとつ。
伝説にある妖怪スポット、心霊スポットがありますので、そこを紹介します。
今回はここまで。
また次回。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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