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どうも、こんにちは。
今回は本シリーズで何度もとりあげてきました、大陰陽師・安倍晴明について。
その人物が眠る墓がどこにあるかについては諸説あるそうですが、今回はその最も有力視される候補のひとつで、しかも彼を祀る晴明神社が命日とされる日に神事を行うという、いわば公式に認められた場所を紹介します。
それが今回訪れた、安倍晴明・嵯峨墓所です。
まずはいつもの通りアクセスから。
今回は嵐電の「嵐電嵯峨」駅から。
駅前の踏切を横切る道を南へと歩きます。
その道の途中、住宅の間の小さな、狭い道から入ります。
狭い道を進んでいきます。
「Gallery「艸(SOU)」」という小さなお店の前を通って、小道を抜けて、「長慶天皇嵯峨東陵」のすぐ南側に建つ小さな神社「角倉稲荷神社」の横を西へと歩きます。
そこは狭い道の奥にある、ごく普通の住宅地の中になります。
ついでですが、「角倉稲荷神社」にも参拝して行きます。
現在は境内が児童公園にもなっている小さな神社ですが、ここにはかつて、高瀬川や保津川を開削するなど水運業で大きな功績を残した大商人・角倉了以(すみのくらりょうい)の邸宅があり、この神社はそこで祀られていた邸内社だったのでしょう。
後述の安倍晴明・嵯峨墓所と共に。
歴史や伝説・伝承の遺構がこういうごく普通の住宅地の中、一般市民の生活空間のすぐ近くに建っている。
こういうこと京都では結構あるのです。
「角倉稲荷神社」の西隣の土地に目指す墓がひっそりと建っています。
そう、ここがかの大陰陽師・安倍晴明の墓所とされている場所です。
歴史・伝説上の偉人や有名人がしばしばそうであるように、生誕地や墓所とされる場所が複数あって、どれが本物なのか現在では判別がつかないというケースも時々見られます。
安倍晴明の場合もそうだったようです。
この嵯峨墓所の他に、京都だけでも、鳥羽街道の竹藪内や五条河原の中州(※現在は中州すら存在しない)に晴明の墓があったという説もありますが、この2つの墓所は痕跡すら現存しません。
はっきりした形で残っているのは、ここ嵯峨墓所だけのようです。
香川や木曽にあるという説もあるそうですが、真相は不明です。
ただここが、晴明神社や地元の方々などに墓であると信じられているのは確かなようです。
本当に小さな敷地しかありませんが、境内を囲む柵の石柱には安倍晴明を象徴する「五芒星(ドーマンセーマン)が刻まれています。
それにしても何故、複数の墓が存在しているのでしょうか。
何らかの理由があって、本当の墓所がわからない様にする為、いくつものダミーが創られたのでしょうか。
また、「安倍晴明は実は怨霊化していて、幾つもの墓所を創ったが祟りがおさまらず、何回目かの遷座でようやく落ち着いた」などという驚愕の説もあるそうです。
当時の権力者たちの信頼もあった高名な陰陽師として、彼自身も絶大な権力や影響力を持っていたとしても、また権力者たちの重大な秘密なども握っていたとしても、それ故に危険視されて暗殺や謀殺とかされてもおかしくはなかったかもしれませんし・・・。
もっとも、単なる素人の趣味で調べているに過ぎないこの私には、その真相を確かめるすべは無いのですがね・・・。
そして墓所に礼拝をします。
墓所はきれいに管理され、新しい花まで供えられています。
信仰され、大切にされているのがわかります。
シリーズ次回は、安倍晴明の命日とされている毎年9月26日に行われる神事、墓所祭の様子を取材します。
今回はここまで。
また次回。
*安倍晴明・嵯峨墓所の周辺地図はこちらへ。
*晴明神社のHP
https://www.seimeijinja.jp/
*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/
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