京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(102):小野随心院(その5)





 前回の続きで、小野随心院の不思議スポットを紹介します。

 前回の「小町文塚」の場所から、さらに進みます。
 その途中で、次のような観音像を見つけました。





 女性的なたおやかさを持つこの観音様は一体……?
 『小町草紙』という書物に「小町は如意輪観音菩薩の化身、業平は十一面観音菩薩の化身」とあったそうです。
 ということは、この観音様は如意輪観音菩薩でしょうか。
 随心院の文化財の中にも、如意輪観音像がありました。
 ただ、何故あのスケベエ……いや、プレイボーイの在原業平が観音様ということになるのか……私には謎です(笑)。


 さらに進んで行きますと、次のような石塔と大木が見えてきます。





 石塔の方は、真言宗小野流の祖であり、小野随心院の前身である牛皮山曼荼羅寺を建立した仁海(にんがい)僧正の供養塔です。

 石塔の後ろに立つ大木は、「小町榧」と呼ばれる榧の大木です。
 シリーズ第99回でもとりあげた「深草少将の百夜通い」伝説において、深草少将が小町の元へ通ったという印に置いていった榧の実を、後に小町が供養のために蒔いて育てたという木です。
 現在の木は、三代目にあたるそうです。

 供養塔のすぐそばには小野随心院の駐車場があります。
 その駐車場から見た供養塔です。





 供養塔の前に赤い服を着た人が立っていますが、その人の横に仁海僧正の生涯や人となりについて書かれた石碑が建っています。
 仁海僧正は、東大寺別当や東寺長者法務などの密教界の要職をいくつも務め、多くの書物を著したという、非常に優秀かつ高名な僧でした。
 また、「雨僧正」「雨海僧正」とも称されるように、祈雨法(雨乞いの法)を得意とし、何度も霊験を顕わしたと伝えられています。

 さらに小野随心院の前身・曼陀羅寺創建の際には、次のような不思議な伝承も残されています。
 仁海僧正は夢の中で、亡き母が牛に生まれ変わって鳥羽の地に居ることを知り、その牛を引き取って世話をしました。
 しかしその牛は、すぐに死んでしまいました。
 仁海僧正は、その牛の皮で曼陀羅を作った、と伝えられています。
 随心院の文化財の中に、「牛皮華鬘」というものがありますが、これが伝説の「牛皮曼陀羅」なのでしょうか?


 「供養塔」と「小町榧」の全体像を、3枚の写真で表してみました。
 あまりうまく撮れていないかもしれませんが……。









 小町が深草少将の供養のために蒔いたという榧の実が、随分と大きく育ったものです。
 これは、深草少将の想いの大きさを表しているように、私には思えてくるのですが。
 何故か。


 それでは今回はここまで。
 これで5回に渡って続いた小野随心院の記事を終わります。

 また次回!




*小野随心院のホームページ
http://www.zuishinin.or.jp/index.html

 小野随心院の周辺地図は、こちらをご覧ください。




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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