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どうも、こんにちは。
源頼光と四天王、平井保昌が、大江山で退治した酒呑童子の首を埋めたという、首塚大明神。
そこは有名な妖怪伝説地であるだけでなく、現在もなお心霊スポットとしても有名です。
前編に続いて、首塚大明神を訪れた時の記事を書きますが、今回は年一度の例祭日の様子を。
前編の続き。
かなり早朝の時間帯から待っていますと、少しずつ人が集まってきました。
以下は、その時の本殿が立つ小山から観た境内社務所の様子です。
例祭の日だというので、社務所が開けられ、氏子の皆さんが何人か集まって、掃除などの作業をしておられました。
ただ普段はこの社務所(とは言っても、山の中の簡易休憩所か倉庫のような感じでしたが)は閉められていて、誰も訪れていないのだろうな、ということは想像できました。
神職の方、氏子の皆さんが本殿で例祭の準備を始めています。
その日は例祭ということなので、これだけ人が集まっていますが。
神職さんに尋ねて聴いてみたところ、常駐の神職さんもおられず、例祭などの特別な日以外は、誰も居られないということらしいです。
つまり、普段は誰も居ないようなうら寂しい場所だということです。
例祭自体は、非常にこぢんまりした地味なものでした。
私も神前に御神酒を供えます。
供えた御神酒の半分を本殿裏の塚へと注ぎます。
御神酒の残り半分を飲みます。
こうして、かつての源頼光一行みたいに、ご祭神の酒呑童子さんと酒を酌み交わした、ということになるのでしょうか。
ところで。
首塚大明神に来ているということで、ひとつ思い出したことがありました。
シリーズ第400回でも紹介した、そして『怪談実話NEXT』(東雅夫/編・MF文庫ダ・ヴィンチ・2013年発行)の第一章「首石」でも紹介された話。
“酒呑童子の首石”なる呪われた魔石の話です。
本シリーズでも何度か登場された“京都の妖怪絵師・伝道師”葛城玄幽氏が、「魔所や心霊スポットにある物を拾って持ち帰ってはいけない」というタブーをあえて犯して、この首塚大明神の境内から“首石”なる呪われた魔石を持ち帰ったという話です。
そして、子安地蔵(※シリーズ第490回で紹介)が「警告」を発したのも、その時同行した友人が恐れて止めたのも聴かずに、その呪われた魔石を持ち帰った。その後葛城氏は、次々と怪事や凶事に見舞われたにも関わらず、その石を手放さずにいて……ついにはその呪いすら制してしまった、という話です。
この「首石」の話を思い出した私は、葛城氏にSNSを使って、メッセージを送りました。
>おはようございます。本日は首塚大明神の例祭に来ております。
>ところで、例の石を発見されたのは、この場所ですか?
その時に、以下の本殿裏の塚の画像を添付して送りました。
すぐに葛城氏から返事が来ました。
>はい、柵の外です(=´∀`)
ということで、柵の外側も観て回ります。
この場所で葛城氏は、呪いの魔石を発見されたのでしょうか?
同時に私は、葛城氏に次のような返信を送りました。
>おお、そうでしたか。ありがとうございます。では、柵の外回りも観ていきます。しかし、そこから石を持ち帰るほどの勇気はさすがに無いですが・・。
そしたらすぐに葛城氏から返信が。
>チャレンジしてください(≧∀≦)
……。
あ、いや……。
……すみません。無理っす。私には無理です。
呪いの石を制するだけの力が私にあるとは思えないですし。
それ以前に、「さらなる力と運を得る為に、曰く付きの場所で呪いのアイテムを持ち帰る」という発想することが、もう既に並の、普通の人間ではないと思います。
私みたいな凡人には、いろんな意味で無理かと思います。
一応辺りを見渡してみましたが。
幸か不幸か、「如何にもそれらしい」という石や物品は見当たりませんでした。
首石を発見された時、「まるで導かれたよう」だったと葛城氏は仰ってましたが。私は霊、鬼、神様などに選ばれたりするタイプでもなかったようです。
ほっとしたような、その一方で少しだけ残念でもあるような。
少々複雑な気持ちになりながら、この魔所を後にしました。
今回はここまで。
また次回。
*葛城玄幽氏のTwitter
https://twitter.com/yokaido
*首塚大明神へのアクセス・周辺地図はこちら。
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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