京都の闇に魅せられて(新館)

道明寺の梅花と怨霊封じ @ 京都妖怪探訪(826)

 

 

 どうも、こんにちは。

 梅の花の季節に贈る『霊場魔所の梅』シリーズの第7回目。

 今回は、シリーズ前回道明寺天満宮の西隣に建つ古刹・道明寺を訪れます。

 かつて道明寺には、道真の叔母・覚寿(かくじゅ)尼が居ました。

 生前の道真がよく訪れた場所のひとつとして、また太宰府へと流される際には覚寿尼との別れを惜しんだ場所でもあります。

 実は当初、道明寺を訪れようとしたのは、天満宮を訪れたついでに行こうという、気楽な気持ちでいたのですが・・・この古刹はなんと、れっきとした「怨霊の寺」だったのです。

 

 

 

 シリーズ前回道明寺天満宮から歩いてすぐ、西隣の場所に建っています。

 

 

 

 

 道明寺天満宮で配布されていたパンフレットには以下のように書かれていました。

 垂仁天皇の時代、菅原氏中興の祖・野見宿祢(のみのすくね)は、それまで行われていた殉死の習慣を廃し、埴輪を副葬品とする代案を提案・開始した功績で「土師(はじ)」の姓と領地を与えられました。

 その後、菅原氏(=土師氏)の祖・天穂日命(あめのほひのみこと)を祀った土師神社の始まりで、推古天皇の時代に聖徳太子の発願によって土師寺が建てられました。

 ただ、古来日本の信仰のあり方は神仏習合でしたから、土師神社と土師寺とは元々はひとつだったのでしょうが、明治の神仏分離により現在の道明寺と天満宮に分かれたという話です。

 

 

 

 菅原道真ゆかりの寺院だからでしょうか。入り口から梅の花が。

 

 

 

 

 

 門前に掲げられていた道明寺縁起の看板によれば、「古義真言宗の尼寺」であり、「建立の際、仏教文化導入に積極的であった土師氏が邸宅を寄進」し、「東西320メートル、南北640メートルの広大な境内に五重塔、金堂等をはじめとする七堂伽藍」のある、壮大な寺院であったそうです。

 

 

 

 門から境内へと入ります。

 

 

 

 その当時と比べれば、随分とこぢんまりしたものだと思いましたが、その後の長い歴史の中で、戦乱や天災による破壊や再建等も経て、現在に至っているそうです。

 

 

 

 

 菅原道真が、藤原氏の謀略にはめられ、冤罪で太宰府に飛ばされた時、淀川を下る船中で

 

「世につれ浪速入江もにごるなり 道明らけき寺ぞこひしき」

 

という歌を詠み、道明寺へ立ち寄ることを許可されました。

 そして、叔母・覚寿尼との別れを惜しんで自像を刻んで、

 

「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音の なからん里の暁もかな」

 

と歌を残していきました。

 それ以来、道明寺に住む者は鶏を飼わないとされているそうですが・・・。

 

 

 

 「護摩堂」にも梅の花々が。

 

 

 

 

 

 門から参道をまっすぐ進んだ先には、「大師堂」があります。

 

 

 

 

 本堂は・・・門から入って左に曲がったところに、(大師堂から見た)下の写真では右側に建っています。

 

 

 

 境内参道の分岐点の真ん中には参道が・・・んんっ!?

 美しい梅の光景と、うららかな春の日の暖かさとで、ほんわかとした気分だったのが一気に冷め、私は緊張と興奮で一杯になりました。

 本シリーズの古くからの読者さんや、オカルトや怨霊に詳しい方ならば、もうお気付きかもしれませんが。

 ここは・・・怨霊の寺だったのです。

 怨霊を鎮め、その内に封じて、外へと出さない為に創られた寺院でもあったのです。

 以下が、本堂と本堂前の光景です。

 

 

 

 疫神、凶神や怨霊神など、生きている人間にとって危険な存在をその内に封じ込めている寺院や神社などには、その存在が簡単に外へ出て来られないような仕掛けがあります。

 そのひとつは、参道の真ん中に、しかも本殿や本堂の前に灯籠を置くことです。

 寺社の境内参道の真ん中は、神仏の通り道です。その通行を妨げるということ、つまり外に出てくるのを防ごうとする意図があるわけです。

 これは、早良親王の怨霊を封じた乙訓寺(※詳細はシリーズ第553回を参照)や、鞍馬の魔王殿(※詳細はシリーズ第444回を参照)などで見られます。

 もうひとつは、正門から本堂(あるいは本殿)の参道をまっすぐにせず、途中で折れ曲がらせるか、途中でずらすかすることです。「神様や怨霊は参道をまっすぐにしか歩けないの?」とか突っ込みたくもなりますが、これもまた、中に封じた存在が外の人間社会へ出て来られないようにする措置のひとつだそうです。これは、疫神・午頭天皇を祀った有名な八坂神社(※詳細はシリーズ第564回を参照)や、同じく菅原道真を祀った北野天満宮(※詳細はシリーズ第172回などを参照)で見られます。

 

 

 話を戻しますと、ここ道明寺では以上2つの怨霊封じ措置が使われています。

 そうまでして封じられている存在とは、やはり怨霊神となった菅原道真以外には考えられません。

 本堂にあるご本尊は、十一面観音菩薩。

 本地垂迹説によれば、十一面観音菩薩とは、天神・菅原道真の本地仏(仏としての真の姿)。

 つまり、本堂に菅原道真を祀っていると同時に、封じているというわけです。

 ここ道明寺は怨霊封じの寺でもあったわけです。

 しかし、この地は(のちに菅原氏と改称した)土師氏ゆかりの土地で、道真が慕う叔母さんの寺でもあったのですが、そういう場所ですら、怨霊神として恐れられていたのか、と思うと。

 恐ろしさと、怨霊マニアとして興味心と、そして一抹の哀しさとが入り交じったような・・・何だか複雑な気持ちにもなりながら、この古刹を後にしました。

 

 

 

 

 

 

 なお、他に幾つも、京都市内の梅の霊場魔所を訪れましたが、もう桜の季節も過ぎようとしている今、桜の霊場魔所の記事も早くあげていかなければ、桜の季節が過ぎてしまいますので、次回からは今年(2023年、令和5年)の『霊場魔所の桜シリーズ』も始めたいと思います。

 

 

 

 

 

 今回はここまで。

 また次回。

 

 

 

 

 

※ところで2023年の目標で、「新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、今回で7カ所目。

 目標まであと13本(13カ所)です。

 

 

 

 

 

*道明寺へのアクセスはこちら

 

 

*道明寺のHP

http://domyoji.jp/index.html

 

 

 

 

 

*『京都妖怪探訪』シリーズ

https://kyotoyokai.jp/

 

 

 

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