どうも、こんにちは。
シリーズ前回でも予告しましたが、今回は“生の六道”と言われる京都・嵯峨の薬師寺を訪れます。
本シリーズでも時々取り上げたことのある、「あの世とこの世とを自在に行き来できた」などの伝説を持つ異能の天才・小野篁(おののたかむら)。
その小野篁が地獄へと通った入り口としたのが、京都・東山にある六道珍皇寺にある冥土通いの井戸(※本シリーズ第29回等を参照)。
そして、この世への帰り道として使ったと伝えられる井戸が2つあります。ひとつが、同じく六道珍皇寺で近年に発見されたという「黄泉がえりの井戸」(※本シリーズ第206回を参照)。もうひとつが、招金山福正寺というお寺にあった井戸です。残念ながら招金山福正寺は、清涼寺(嵯峨釈迦堂)内にある薬師寺に合併するという形で、廃寺となりました。福正寺の井戸も埋められ、現在は見ることが出来ません。
しかし福正寺の仏事や仏具、仏像等の遺産は、嵯峨・薬師寺に、現在も引き継がれています。
薬師寺の本堂は、普段は一般公開されていないのですが、年1回、8月24日の「地蔵盆」の時のみ一般公開されます。その行事には誰でも参加することができ、また貴重な仏像等の寺宝も目にすることができます。
だいぶ以前にも嵯峨・薬師寺の地蔵盆を訪れたのですが、この前数年ぶりに再訪しました。
その時の様子を、今回改めてお届けしたいと思います。
まずは、シリーズ前回の繰り返しになりますが、嵯峨・薬師寺(清涼寺)へのアクセスから。
アクセス方法はいくつかありますが、そのうちの3つを紹介します。
JR・山陰本線の「嵯峨嵐山」駅。ここから歩いて15~20分ほどです。
京都市営バスと京阪バスの「嵯峨釈迦堂前」停留所から、歩いて数分ほど。
京都市営バスの「嵯峨小学校前」停留所からも、歩いて5分ほど。
嵯峨薬師寺及び、釈迦堂(清涼寺)の主なアクセス方法はだいたいこんなところでしょうか。
少まずは、「嵯峨釈迦堂」こと清涼寺を目指します。
門をくぐって境内へ。
入って正面奥に本堂が見えます。
その本当のすぐ隣に。
より正確には、豊臣秀頼の首塚を挟んですぐ隣に、薬師寺はあります。
普段は一般公開されていないのですが、8月24日の地蔵盆の日だけは、誰でも入ることができます。
そして、地蔵盆の行事に参加させていただくこともできます。
薬師寺の前に立っている「生の六道・小野篁公遺跡」と刻まれた石碑です。
元の「生の六道」だった招金山福正寺も、小野篁が地獄への帰り道に使ったという福正寺の井戸も、現在ではありません。
しかし福正寺を吸収・合併し、その仏事や仏具などを受け継いで「生の六道」となったのが、ここ嵯峨・薬師寺です。
ここのお寺の関係者や檀家の皆様は、本当にいい人ばっかりで、私のような何年かぶりに訪れた部外者も迎えてくださいました。
中には、私が何年かぶりに訪れたことを覚えていてくださった方も居まして。
それが非常にうれしかったですね。
そして、さらに!
この本堂内には、歴史や由緒がある仏像がいくつもあります。その中には、かつて秘仏とされたような非常に貴重な仏像もあるのですが。
それらを何と、撮影するお許しをいただくことができました。
以下、お寺の皆様に感謝しつつ、こうした貴重な仏像を写真付きで紹介していきます。
まずは、本堂内中央に坐すご本尊「心経秘鍵薬師如来」です。
嵯峨天皇の勅願によって弘法大師・空海が創ったという、非常に貴重な仏様だそうです。
薬師寺に伝わる「薬師堂縁起」には、次のような話が伝わっています。
平安時代はじめの弘仁9年(818年)、天下に疫病が蔓延した時のこと。当時の嵯峨天皇は弘法大師・空海に薬師如来像を創るように命じ、自らも写経を行い、病魔の退散を祈願しました。空海は神護寺にて如来像を刻み、その開眼供養を薬師寺で行ったところ、たちまち霊験が顕れ、万民は疫病から救われたといいます。
この時嵯峨天皇が写経した心経は、嵯峨御所(のちの大覚寺)に納められ、空海が刻んだ如来像は勅封の秘仏として薬師寺に祀られました。
明治に入るまで薬師寺は、嵯峨天皇勅願所として嵯峨御所(大覚寺)の保護を受け、さらに本尊・薬師如来像の厨子の開閉も大覚寺の手で行われ、薬師寺の住職にはあけることすら許されなかったという。
そんな凄い秘仏だったそうです。
次は、ご本尊より本堂の向かって右側に祀られている「船上阿弥陀三尊像」です。
阿弥陀如来座像。
観音菩薩座像。
勢至菩薩座像。
この3体です。
いずれも平安時代の比叡山の高僧・恵心僧都(源信)の作だとされています。
この寺の縁起によれば、次のような話が伝わっています。
恵心僧都は生身の阿弥陀仏を拝することを願い、清涼寺において七日間参籠し、祈念し続けました。満行の日の暁、高貴な尼僧が現れました。その尼僧の導きによって僧都は、紫の雲の中に船に乗った阿弥陀三尊が現れ、西の空へと向かっていくのを拝することができました(注:「西方浄土」という言葉にもあるように、阿弥陀仏の居る浄土は西の方向にあると言われています)。
その時の感動を後世に伝えようと恵心僧都は、その阿弥陀三尊の像を彫り、薬師寺に遺したと伝えられます。
昔は船に乗っている阿弥陀三尊の像だったらしいのですが、現在は船はなく、阿弥陀三尊像だけが遺されている、ということらしいです。
その像が、この3体の仏様のようです。
なお、この像を創ったとされる恵心僧都(源信。942年~1017年)も、比叡山延暦寺の歴史の中で有名な高僧の一人です。
恵心僧都の師である良源(別名・元三大師)という高僧も、「比叡山中興の祖」とも言われる有名な高僧で、また「鬼の姿に変化して魔を払った」という、まるでデビルマンみたいな伝説も遺されているという人物でもあります。
そういう偉大な高僧に師事していましたが、師・良源の死をきっかけに、『往生要集』という書物記しました。
この書物は、極楽往生に関する書物をまとめて書いたもので、「死後極楽に往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげるべき」と説き、浄土教の基礎を創ったものです。今日我々が抱く地獄のイメージも、この『往生要集』で書かれている地獄の様子が元になっているそうです。
また『今昔物語』には、恵心僧都が羅刹谷の人食い鬼女を退けたという伝説も記されています。
そういう歴史・伝説上に名を遺した高僧の手で創られたという仏像。
京都市指定文化財にもなっている、そんな歴史的にも貴重で、しかも不思議な伝説まで関わっているという。
以上も、薬師寺から渡された資料を後から読んでわかったことなのですが、やはり、そんな貴重なものを撮影させていただいたとは……(汗)。
次は、本堂内の一角に祀られていました嵯峨天皇の像です。
小野篁が尊敬し、仕えた人物です。
この像も、京都市登録文化財に指定されている貴重なものです。
そして、ご本尊より本堂内の向かって左側にある仏像こそが、小野篁自身の作と伝えられている「生六道地蔵菩薩」像です。
地獄の亡者たちを救うために、亡者たちの代わりに地獄の炎で焼かれる地蔵菩薩の姿に感動した小野篁は、地蔵菩薩の像を創って祀った、と伝えられています。
この地蔵菩薩像も、そうして創られた像のひとつだそうです。
ここを訪れた8月24日は、この生六道地蔵菩薩のお祭りの日なのです。
ところで、この地蔵菩薩の前にたくさん供えられているものがありますが、これは「生御膳(なまごぜん)」という船です。
「生御膳」は、七種類の野菜と湯葉作られています。
これはお盆に訪れるという精霊(しょうろう。お盆の時にあの世から来た死者の魂)があの世に帰る際の乗り物として使用される、と考えられています。
さて今回はさらに……。
関係者の方のお許しを得て、生六道地蔵菩薩を間近で撮影することができました。
両脇に2つの小さな像が立っています。
こちらから向かって左側が小野篁。
向かって右側の合掌している像が聖徳太子です。
小野篁の像は、六道珍皇寺や、千本ゑんま堂の篁像みたいな、凜々しい感じの貴人像です。
これらの小野篁像は、袖が上の方にまくり上がっていますが、「地獄へ降りていく際にその風圧で袖がまくり上がった」ことを表しているのだとか。
聖徳太子像は、子供か少年のようにも見えます。
聖徳太子の像や肖像には、子供や少年の姿のものも多いようです。その理由については、「聖徳太子は幼い頃から卓越した知力や霊力を発揮した」とか、いろいろな理由があるようです。
また、「古代では童子(子供)と老人には特別な力がある」と信じられていたとという説もあります。桃太郎のように子供が鬼を倒すという物語もありますし。聖徳太子自身にも、少年だった頃に排仏派の大権力者・物部守屋を呪術で倒したという伝説があります。
さらには……。
「聖徳太子怨霊説」なるものも囁かれているそうです。
例えば「酒呑童子」「茨木童子」など、鬼の名前には「○○童子」というのが多く、桃太郎のように鬼を倒す者も、また鬼自身も「童子」「子供」のイメージでとらえられていたようです。
本シリーズでも聖徳太子や太子怨霊説をとりあげてみるのも面白そうですが……。
それはまた別の機会にしましょう。
それでは、今回はここまで。
シリーズ次回、後編では今回の続きで、嵯峨・薬師寺の地蔵盆の様子をお届けします。
*嵯峨・薬師寺へのアクセスについてはこちらを参照。
*嵯峨・薬師寺のHP
http://yotsuba.saiin.net/~saga/yakusiji/index.html
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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