どうもこんにちは。
「蟹の恩返し」伝説が遺る京都・木津の古刹・蟹満寺(かにまんじ)。
シリーズ第812回でも紹介したこの古刹で、毎年4月18日に行われる「蟹供養(かにくよう)」。
蟹を放生(ほうじょう)し、蟹の供養をするという、蟹伝説の寺ならではの行事です。
実はシリーズ第812回で訪れるよりもはるか前に、この行事に参加したことがありました。
その時の写真を長く保管したままアップ出来ずにおりましたが、蟹満寺を再訪した今回を機に、レポート記事でも書きたいと思います。
まずは、改めて蟹満寺と「蟹の恩返し」伝説について解説を。
既にシリーズ第812回記事を読まれた方は、この部分を、次の画像部分まで読み飛ばしてくださっても結構です。
創建は白鳳時代末期(680年頃か)と伝えられています。
やはりこの説話が伝わる宇治の三室戸寺の過去記事(シリーズ第197回など)のおさらいになりますが、この古刹に伝わる「蟹の恩返し」伝説について簡単に紹介します。
昔、山城の綺田(かばた)村に、三室戸の観音さまを信仰している心のやさしい娘が居ました。
ある時娘は、村人が蟹を殺そうとしているところに出くわし、「持っている魚の干物を差し上げますので」と蟹を助けてもらいます。
またある日のこと、その娘の父親は、蛇が蛙を呑み込もうとしているところに出くわし、「私の娘をやるから蛙を放してあげなさい」と言って、蛙を助けてもらいます
(ここで思うのですが……この父親は、蛙一匹助けてもらう為に自分の娘を差し出す約束をするとは、この父親は何を考えているのだ、と突っ込みたくなりますが)。
その夜、その時の蛇が美男子に姿を変えて父娘のところに現れ、「約束通り娘をもらいに来た」と言いました。父親は「3日後に来て欲しい」と言い逃れをします。
3日後、娘は戸を完全に閉め切って、三室戸の観音さまに必死に祈り続けていました。蛇は待ちきれずに怒り狂い、人の姿から元の姿に戻ると、戸を破って中へ入ろうとします。娘は観音さまに助けを求めると、どこからか無数の蟹が現れ、はさみをたてて蛇を退治してしまいました。
娘と家族は、観音様のご加護に感謝し、死んでいった大蛇や無数の蟹たちの霊を弔うために、御堂を建てたのが、「蟹満寺」のはじまりとなりました。
以上が有名な「蟹の恩返し」伝説のあらすじです。
山門をくぐって境内へ。
やはり特別行事の為でしょうか、いろいろと豪華な飾り付けが。
蟹伝説の寺だけあって、あっちこっちに蟹をかたどった物が刻まれています。
境内の一角には「蟹類が菩提心を発心した」という意味の文が刻まれた碑がありますが、そこでも行事の準備が。
蟹供養に参加する業者さんの一覧が。
蟹料理屋さんの他、水産会社、料理旅館など、普段から蟹のお世話になっている業者さんたちの名前が並びます。
琴など和音楽の奉納があります。
境内の一角に立つ碑の前に立つ祭壇には、奉納される大きな蟹と、放生(ほうじょう)する小さな蟹の水槽が準備されています。
僧侶や修験者の皆さんによる読経が始まり。
あの碑の前に移動されます。
多くの小蟹が入れられた水槽が運ばれてきて。
小蟹は小さな容器に入れられ、参加者に配られていきます。
碑の前で読経がされます。
「放生(ほうじょう)」とは、捕らえた魚や鳥などの生物を放してやるという、不殺生を唱える仏教の善行のひとつです。
この「蟹供養」は、蟹を放生することにより功徳を積む、というものでしょう。
多くの小蟹が解き放たれていきます。
放生も終わり、僧侶の皆さんも本堂へ戻られます。
こうしてその年の「蟹供養」も無事終わりました。
今回はここまで。
また次回。
*蟹満寺(「京都南山城古寺の会」より)
https://www.minamiyamashiro-koji.jp/jp/kanimanji/
*蟹満寺へのアクセスはこちら。
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/