どうもこんにちは。
シリーズ前々回と前回とに引き続き今回も、京都の妖怪絵師・伝道師の葛城トオル氏の案内で、京都は南山城付近の霊場魔所巡りをしました。
今回は、平氏追討の令旨(りょうじ)を出して、源平合戦とその後の平家滅亡のきっかけをつくった以仁王(もちひとおう)の怨霊を祀る、木津の髙倉神社を訪れました。
(記事中の写真は、プライバシー保護等の為、人の顔部分等に修正を加えていることがあります)
シリーズ前回の蟹満寺から、車で北へ移動してすぐの場所に、この古刹は立っています。
JR奈良線「玉水」駅から徒歩20分、コミュニティーバス「神ノ木」停留所から徒歩3分で行けるそうですが、便数が少ないそうなので、車やバイクがなければアクセスには不便かもしれません。
田園風景が広がる中に、ひっそりと建っています。
ここで、祭神として祀られている以仁王(もちひとおう)という人について簡単に解説を。
以仁王は、『平家物語』などで有名な後白河天皇の第二皇子であり、学も人望もあったのですが、平氏の血をひく髙倉天皇を次期天皇にしたい平氏に嫌われて、天皇どころか親王(しんのう)以上にもなれなかったという不遇の人です。この人で最も有名な話と言えば、妖怪・鵺(ぬえ)退治の英雄としても知られる源頼政の進めによって、平氏追討の令旨を出したことです。
源頼政は、自分の息子が、平宗盛(平清盛の三男)から今で言ういじめやパワハラのような仕打ちを受けたことをきっかけに、長年抱き続けてきた平氏への怒り・恨みを爆発させ、同じく平氏に恨みを抱いていたであろう以仁王と結びつき、この令旨を出させたのです。このエピソードは事実ではないとする説もありますが、『平家物語』などで有名なエピソードです。
以仁王が出したこの令旨が源平最終決戦のきっかけとなりましたが、本来「令旨」とは、律令制の下で皇太子・三后(太皇太后・皇太后・皇后)の命令を伝えるものだったわけで、親王にもなれなかった以仁王が出せるはずがないもの。つまり以仁王の越権行為だったわけですが、そんないい加減なものが日本各地に散らばっていた源氏を蜂起させることになりました。
境内にやはりひっそりと建っている以仁王の墓所。
当時の体制からしたら、以仁王は謀反人であるわけですから、京都でも奈良でもないこの場所に、このようにひっそりと葬られているのですね。
葛城氏と他の参加者の皆さんと本殿へ。
本殿は格子に覆われています。
神社で神様を直接見るとか、撮影するなどというのは、本来ならば不敬にあたるのですが、ここは敢えて・・・。
本殿の左右の柱を見てください。
「以仁王」と「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」の2柱の祭神の名が書かれています。
「天児屋根命」というのは、藤原氏の祖神とされている神様です。
葛城氏の解説によれば、怨霊を恐れる人々、怨霊を封じ、押さえようとする人々は、自分たちの守護神を怨霊と共に祀り、怨霊の監視役・お目付役とするそうです。
つまりここは、まごう事なきその当時も体制側だった藤原氏は、以仁王の霊を怨霊として恐れ、自分たちの祖神にそのお目付役をしてもらっているというわけですね。
こういう片田舎のような場所(失礼!)にひっそりと建っているような小さな神社も、少し掘り下げて見れば、その背景には、歴史や曰く、そのさらに背後にある人間社会のドラマがあるという好例でしょう。
今回はここまで。
また次回。
※ところで2023年の目標で、「新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、これで3本目。
目標まであと17本です。
*高倉神社(「木津川市観光ガイド」より)
https://www.0774.or.jp/temple/takakura.html
*高倉神社の周辺地図はこちら。
*葛城トオルのTwitter
https://twitter.com/yokaido
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/