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どうも、こんにちは。
今年(2022年、令和4年)も梅の季節を迎えましたので、毎年この時期恒例となりました『霊場魔所の梅』シリーズの第4回目記事を書きたいと思います。
霊場魔所の梅と言えば・・・天満宮、つまり菅原道真を祀る神社。
生前の菅原道真が愛したという梅は、牛と共に天満宮(菅原道真)を消灯する存在としても有名です。
今回はその菅原道真の生誕地とされる3つの霊場の梅を巡ります。
生誕地とされる場所が3つもある。
決して嘘でも、ふざけているわけでもありません。しかもこの3つ共に「菅原道真・産湯の井戸」があるのです。
そんな面白すぎる場所の梅を、今年(2022年、令和4年)も観てきました。
まずひとつ目は、京都府南区吉祥院に建つ「吉祥院天満宮」です。
シリーズ第541回で紹介したことがありますので、今回は詳細を省きたいと思いますが簡単に説明を。
元々は、菅原道真の曾祖父・土師古人(はぜの・ふるひと)がここに邸を建てたのが始まりで、道真の祖父・菅原清公(すがわらの・きよきみ)の代に菅原に改姓。
清公が遣唐使として唐へ向かう海上で遭難の危機に見舞われた時、吉祥天女の加護によって助かったので、帰国後自ら彫った吉祥天女像を邸内に祀ったのが始まりだと伝えられています。
境内鳥居の前から薄紅色の梅の花が。
弁財天社と、菅原道真が朝廷出仕前に顔を映していたという「鑑(かがみ)の井」前にも梅の花が。
鳥居の横に「菅原道真・産湯の井戸」(を再現したもの)が。
参道中、まだ蕾のものもありましたが、紅梅の花が。
境内に建つ吉祥天女社の周辺には白梅の花が。
ふたつ目は「菅原院天満宮」。
鳥居の横に咲き始めの紅梅の花が。
こちらもシリーズ第38回などで紹介したことがありますので、今回詳細は省きたいと思いますが、簡単に説明を。
この地は、菅原道真の曽祖父・菅原古人(ふるひと)の邸宅「菅原院」であったところだそうです。祭神の菅原道真の父是善(これよし)ら曽祖父以来三代が住まったところとも伝えられています。
境内奥の方に「菅原道真・産湯の井戸」が。
「産湯の井戸」の周りにも白梅が。
手水鉢には椿の花も。
みっつ目は「菅大臣社」。
こちらもシリーズ第36回だけでなく、毎年の『霊場魔所の梅』シリーズで紹介するほどの、お気に入りの梅スポットですので、やはり今回詳細は省きますが、
この地にはかつて菅原道真の邸宅があり、紅梅殿・白梅殿や菅家廊下(かんけろうか)といわれた学問所の跡地だとも伝えられています。
三月前半頃に訪れた時には、境内に咲きかけの白梅が。
鳥居をくぐって境内に入りますと、ところどころに紅梅が。
やはりここにも「菅原道真・産湯の井戸」があるのですが、普段は非公開の為、我々一般人が直接目にすることはできません。シリーズ第74回の時運良く、直接目にする機会に恵まれましたが、その時の詳細は当該記事をご覧ください。
ところで管大臣社の境内には、九州太宰府へと左遷される菅原道真から有名な「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」の歌を送られ、さらに「主・菅原道真を追って太宰府まで飛んでいった」という伝承を持つ飛梅(とびうめ)が植えられています。
もっとも、一本の梅が千数百年以上も生き続けるということはまず考えられませんので、現在の飛梅の木は、その何代か後の子孫でしょう。
毎年梅の季節になると私が欠かさず訪れるのは、この伝承の木があるからです。
しかしこの時、飛梅の花はまだ蕾でした。
今年の梅は木や品種によって、咲き具合にばらつきがあるようです。
飛梅が見頃を迎えた頃の再訪を誓って、この時はこの古社を後にします。
それにしても、菅原道真さん。
偉人や英雄など、歴史や伝説上の有名人の生誕地について諸説あるというのは、菅原道真に限った話ではないでしょうが。
「産湯の井戸」がある「生誕地」が3箇所もあるというのは、面白いですね(笑)。
多分これから先も「3つのうち、本当の生誕地、産湯の井戸はどれか?」というのは、明確にならないだろうな、という気はしますが。
しかしそれはそれで、なんと言いますか、夢やロマンとかがあって面白いのではないか、とも思います。
今回はここまで。
また次回。
*吉祥院天満宮への地図・アクセスはこちら。
*菅原院天満宮への地図・アクセスはこちら。
*菅原院天満宮のHP
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*『京都妖怪探訪』シリーズ