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どうも、こんにちは。
今年(2022年、令和4年)も梅の季節を迎えましたので、毎年この時期恒例となりました『霊場魔所の梅』シリーズの第5回目記事を書きたいと思います。
今回は、本シリーズでほぼ毎年紹介している、伝説の「飛梅」を。
「飛梅」とは、菅原道真が太宰府へと流された時、主を追って太宰府まで飛び、その地で根を下ろしたという伝説を持つ梅です。
今年も、北野天満宮と管大臣社の、いずれも菅原道真を祀る2社の梅を観に行きました。
最初に、過去記事のおさらいになりますが、「飛梅」の伝承について。
菅原道真が藤原時平らの謀略によって太宰府へ飛ばされる時のこと。
屋敷の庭木のうち、日頃から特に愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しみました。
そのときに梅の木について、次のような歌を読みました。
「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春な忘るな」
あるいは、
「東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」
現代語に訳すますと「梅の木よ。主(私)がいなくなっても、春が来るたび忘れること無く、芳しい花を咲かせておくれ」という意味になるそうです。
3本の木のうち、桜の木は悲しみのあまりみるみるうちに葉を落とし、ついに枯れてしまいました。
松の木は、道真の後を追おうと空を飛びましたが、摂津国八部郡板宿(現在の兵庫県神戸市須磨区板宿町)辺りで力尽きて、その地に根を降ろします。その地は後に「飛松岡」と呼ばれるようになります。
梅の木は、その日のうちに道真の居る太宰府へ降り立ち、その地に根を下ろしたと伝えられています。
その梅が、現在は京都の北野天満宮の本殿前と管大臣社の境内と、太宰府天満宮に植えられている梅の木だそうです。
もっとも、一本の梅の木が千数百年以上も生き続けることはさすがに無いでしょうから、そのいずれもが何代か後の子孫の木でしょうが。
まずは北野天満宮の方から。
今年(2022年、令和4年)3月後半の北野天満宮の本殿前。
大勢の参拝者が列をなしている賑わいようです。
その前に立つ梅のご神木、これが伝承の「飛梅」、より正確にはその子孫のうちの一本です。
この飛梅の伝承を知っている参拝者はどれだけ居るのかはわかりませんが、ちょうど見頃だったこともあって、飛梅の前にも何人もの人が。
前に訪れた時には、まだ蕾か咲き始めだったのですが。
今年も元気に咲いてくれたようです。
次に、管大臣社の飛梅。
こちらも前に訪れた時には、まだ蕾だったのですが。
今回はちょうど見頃、満開とはいかなくても、七分咲きくらいだったかな。
まずは本殿とその前の梅の木に礼拝。
そして現在は「区民誇りの木」にも指定されている「飛梅」を鑑賞・・・否、礼拝します。
帰りは梅の花以外も見送ってくれました。
私のお気に入りの梅スポット、梅の木。
今年もまた逢えた。
来年もまた、逢えることを願って。
今回はここまで。
また次回。
*北野天満宮への地図・アクセスはこちら。
*北野天満宮のHP
*『京都妖怪探訪』シリーズ