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どうも、こんにちは。
時期も少し遅くなりましたが、まずは毎年この時期恒例となりました、『霊場魔所の蓮と紫陽花シリーズ』の、今年(2022年、令和4年)の第2回記事を。
今回は、世界遺産にも認定された宇治平等院の蓮の光景をお届けします。
ところで、宇治平等院が何故、本シリーズでとりあげられているのか。
妖怪や怨霊・心霊などとどういう関係があるのかと言いますと。
妖怪関連では、以下の2つの歴史と伝承があるからです。
(1) 鵺退治の英雄・源頼政の墓が境内にあり、また彼が最期を迎えた地として有名(※その詳細については第186回で)。
(2) 中世日本の3大妖怪「酒呑童子」「玉藻前(=九尾の狐)」「鈴鹿山の大嶽丸」の遺骸が宝蔵に納められている(封印されている)という伝説(今で言う都市伝説か?)もある(※その詳細については第185回で)。
つまり10円硬貨の図として有名なこの古刹も、妖怪伝承地としての顔も持っているのです。
今回は何年かぶりに、そんな地で蓮の光景を巡りたいと思い立ったのです。
今回は京阪電車「宇治」駅から、宇治川の橋を渡って、宇治平等院を目指します。
橋の上や周辺から、古来より知られた宇治川の急流が見られます。
『平家物語』などで語り継がれた、寿永3年(1184年)の宇治川の合戦などに見られるように、この地は京都防衛上の要衝のひとつとされてきました。
この宇治川の急流は、この地を北の京都側と、南の奈良側とに分かつものであり、寿永3年の合戦だけでなく、古来よりこの地を舞台に幾つもの戦いが繰り広げられてきました。
現在では近代的な橋や道路、鉄道も通っていますので、誰でも簡単かつ安全に宇治川を渡ることが出来、その急流もこの地を分かつものとはなりません。
ところで宇治橋の途中には、こういうちょっと変わった場所があるのですが。
この場所も、ある有名な宇治の妖怪に関係ある場所であり。
また、この近くにはその有名妖怪を祀った神社までありますが。
今回の本題からはそれますので、この不思議な場所について興味ある方はシリーズ第183回記事を、その妖怪を祀った神社を祀った神社については第184回記事をご覧ください。
今回、途中の道のことは省略して、平等院入り口へ。
以下の画像は、入り口付近の白蓮です。
平等院、浄土院前の蓮。
ここ平等院とは、元々は藤原氏が極楽浄土を模して造ったという場所。
その為、極楽浄土に咲くという蓮の花もあるのですが、何故、極楽浄土を模した施設を造ったのかと言いますと。
それは平安後期に流行した「末法思想」の影響だと言われています。
釈尊が説いた正しい教えは次第に衰え、やがて滅びる「末法の世」が訪れるという、一種の終末思想みたいなものでしょうか。
そういう時、来世に執着するよりも、死後に阿弥陀仏の居る極楽浄土へと生まれ変わるにはどうしたらいいかということが、支配層から一般庶民の間でまで真剣に考えられていたようです。
その頃、比叡山の高僧・源信によって記された『往生要集』という書物には、地獄や極楽の様子や極楽往生などの方法について書かれていましたが、その中に「極楽浄土へ行くには極楽の光景を具体的に思い浮かべること」とか記されていたそうです。
この為、ここ平等院鳳凰堂は、極楽浄土を模して造られたという話です。
つまりここは、「藤原氏らが極楽往生へのイメージトレーニングをする為に、極楽浄土を模して造られたヴァーチャル極楽施設」のようなものだったということでしょうか。
さて平等院といえば、まずは、10円硬貨裏面の図面で有名な、鳳凰堂と阿字池を思い浮かべる人も多いでしょう。
ここの蓮の光景も。
極楽ってこんな感じ?
この光景と、鳳凰堂の中の光景でイメージトレーニングをしたら、極楽浄土に行けるのか・・・?
今回はここまで。
また次回。
*宇治平等院へのアクセス及び周辺地図はこちら。
*宇治平等院のHP
*『京都妖怪探訪』シリーズ