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どうも、こんにちは。
毎年夏の「百鬼夜行展」をはじめ、幾つもの面白い妖怪関連イベントも開催されてきた鷲峰山高台寺。
今年夏も「百鬼夜行展」と夜間拝観とを開催されましたので、是非ともと思い、言ってきました。
8月某日の夜。
高台寺付近の「ねねの道」。
わがお気に入りの散策スポットのひとつ。
この夜は、コロナ禍第7波の最中と言うこともあってか、夏休み期間中にもかかわらず、あまり人通りが見られません。
「ねねの道」から続く、高台寺山門への長い石段。
多くの木々で覆われたこの道は、夜には幽玄の異世界へと続く道のようにも見えます。
道の途中では、カップルや家族連れ名など、ねねの道ではあまり見られなかった何人もの人とすれ違い、それが辛うじてここがまだ人の世界だということを感じさせています。
山門へ。
以前この山門には、ひとつ目小僧などの妖怪の提灯が下げられていたのですが。
今年は竜と虎のようです。
高台寺境内へ入ろうとしますが、この時入り口と庫裡付近は工事中で、新しい(或いは仮の?)道から入ります。
毎年の「百鬼夜行展」をはじめ、何度も訪れていますので、私にとってはもはやお馴染みの光景でもあるのですが、それでもライトアップされた高台寺境内の夜景には、ついつい見入ってしまいます。
特に臥龍池に映る夜の光景なんかもお気に入りです。
でも、やはり高台寺の「百鬼夜行展」で、なおかつ夜間拝観中の名物といえば、方丈前庭に写しだされるプロジェクションマッピング。
主にこの寺に伝わる「百鬼夜行図」をモチーフにしたものが上映されますが、今年はどんなものが、と期待して観ます。
まずは勅使門前に青白い人魂が。
展開される光の中。
妖怪らしき影もちらほらと見えたかと思うと。
こいつは・・・百鬼夜行絵巻の妖怪の一人、塵塚怪王(ちりづかかいおう)。
勅使門に3人の妖怪が。
勅使門の両脇に提灯妖怪が現れ。
派手な光と音楽の演出の中、影だけのものも含めて、幾人もの妖怪の姿が乱れ飛び。
光も妖怪たちの姿も唐突に霧散します。
最後に一人だけ遅れた奴が、門の中へと駆け込みます。
あっ、こいつは「百鬼夜行絵巻」の最後の方(※詳細はシリーズ第357回を参照)で、百鬼夜行行列を終わらせる火の玉から逃げる白龍の妖怪。
たいていどこの組織や集団にも、皆より1~2テンポほど動作や行動が遅い奴、何かあった時に逃げるの遅い奴とかがよくいますが、この白龍の妖怪も、そんなタイプでしょうか(笑)。
方丈内には、新旧の「百鬼夜行絵図」、河鍋暁斎「閻魔図」など、寺宝ともいうべき作品が幾つも展示されていました。
ただ、そのような貴重な寺宝を撮影する許可は得られませんでしたので、ここでその姿をお届けすることはできませんが。
今回、展示作品の中で唯一、撮影可だったものがありました。
それが以下の幽霊人形です。
この幽霊人形は、香川を拠点に「球体関節人形(関節部分に球体をあてがって自由に動かせる人形)」活動されている作家、丸亀戸沙怒子(まるきど・さどこ)さんの作品だそうです。
このような幽霊人形を製作されただけでなく、「サディズム」という言葉の由来ともなった人物に似せたハンドルネームを名乗っているとは、何というか相当に変わった・・・というか、個性的な作家さんのようですが。
この作品は、四国丸亀の京極家の名刀「にっかり青江」にまつわる幽霊伝承をモチーフに作られたという話です。
昔、ある腕の立つ武士が、「化け物が出る」という話を聞いて、夜を待って出かけてみると、小さな子供を抱えた怪しい女が立っていました。
その女は、子供に「お侍さんに抱かれておいで」と言いましたが、武士は歩み寄ってきた子供を斬りすてました。
今度は女も近づいてきましたが、その女も斬りすてます。
翌日、武士がその場に行くと、親子や化け物の遺体は無く、切られて転がっている古い石灯籠があるだけでした。
なお、この幽霊を斬ったという刀は、豊臣秀吉に献上されて「にっかり」の号が与えられ、秀吉より京極忠高に拝領され、現在は香川県の丸亀市立資料館に所蔵されているという話です。
幽霊には子供の人形もついています。
普通の生きている子供には見えません。
そして、この幽霊人形の表情がこちら。
怪談話でよく聞く、不気味な笑みを浮かべる幽霊というのは、おそらくこういう表情なのでしょうね。
こうして今年も「百鬼夜行展」を見終え、帰途につきます。
また来年。
今回はここまで。
また次回。
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*鷲峰山高台寺のHP
*『京都妖怪探訪』シリーズ