京都の闇に魅せられて(新館)

2018年・祇王寺の紅葉





(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)


 どうも、こんにちは。
 今回も今年の『霊場魔所の紅葉シリーズ』
 前回の続きで、京都の葬送地のひとつだった嵯峨野にある古刹で、紅葉名所のひとつでもある祇王寺(ぎおうじ)の紅葉風景を巡ります。

 前回の厭離庵(えんりあん)から、愛宕山へと続く道を歩きます。









 途中、「檀林寺(だんりんじ)」という名所もあったのですが、残念ながら4時頃に閉められたようです。





 なお、檀林寺についてはこちらの過去記事に書いてあります。

 閉門までほぼぎりぎりに間に合いました。





 なお京都には、このように「三脚使用禁止」とか、「コンパクトカメラやスマホでのみ撮影可」などという場所も結構あります。
 また常に身軽に動ける様にする為ということもあって、私はあえてコンパクトカメラのみを使用する様にしております。

 それはそうと、まずは境内庭へ。








 まず、祇王寺とはどんな寺院か。
 これは、あの『平家物語』の舞台のひとつともなった場所です。
 こちらの過去記事の繰り返しになりますが、ここでその大まかな内容を。


 当時、祇王(ぎおう)と祇女(ぎじょ)という都に名高い白拍子の姉妹が居ました。
 特に姉の祇王は、当時の最高権力者・平清盛の厚い寵愛を受け、名声も富の絶頂期にありました。
 ある時、仏御前(ほとけごぜん)という若い白拍子が清盛の元に「舞を披露したい」と訪れます。
 最初のうち清盛は断っていましたが、祇王が優しく取りなしたので、舞と歌を披露させることになりました。
 しかしそこで清盛は仏御前の方に心を奪われ、祇王と祇女はお払い箱となって館を追い出されます。
 祇王は祇女、母・刀自と共に、次の歌を残して去っていきます。

「萌え出ずるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはではつべき」
(意訳:芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果てる。同じように人も誰しも、いつかは飽きられ、終わる時が来るのでしょう)


 『平家物語』のテーマが「諸行無常」。
 この世には絶対的なもの、永久不変のものは何ひとつ無い。
 いかに栄えたもの、美しいもの、力のあるものでも、いつかは衰退し、滅ぶ。
 絶大な権勢を誇った平家も最後は滅ぶ。
 都一番の白拍子、今で言えば№1のアイドルかスーパースターだった祇王も、後発のアイドルやスーパースターに人気を奪われ、表舞台から退場せざるを追い込まれることになる。
 今で言えば、人気スターやアイドルなどの芸能人の悲哀みたいのを感じてしまいますね。
 かつてのスーパースター、マドンナがレディー・ガガにとって代わられたように。
 モーニング娘。がAKB48等にとって代わられた感があるように。


 なお、この話にはさらに後日談がありますが、それは後にして境内庭の散策に戻ります。

















 以前訪れた時もそうでしたが、ここ祇王寺の庭は、苔の地面が大量の散り紅葉で覆われた光景こそが美しい。
 今年もまさにこの光景を見たいが為に、ここを訪れたのです。


 この庭の美しさを創っているのが、紅葉と、そして苔ですが、その苔もこのように幾つも種類があるそうです。









 散策を続けます。












 ここで、先ほどの『平家物語』の祇王の物語の続きを。

 静かに暮らしていたところに、あの清盛から「仏御前が退屈しているから、出てきて舞をしろ」との命令が下りてきます。
 祇王たちが追いやられたのは清盛と仏御前が原因ですから、彼女らにとっては屈辱的な仕打ちですが、祇王は結局従わざるをえません。
 再び訪れた清盛の館でも、かつてよりはるか下座に置かれるなど、境遇の変化を嫌でも思い知らされることになる中で、歌と舞を披露されることになります。
 この屈辱的な仕打ちに祇王は世をはかなんで、妹・祇女、母・刀自と共に世を捨て出家し、今の祇王寺の場所に草庵を建てて暮らしました。
 この時、祇王21歳、祇女19歳、刀自45歳でした。

 それからさらに後、ある秋の夜のことでした。
 夜中に草庵を訪ねてくる者が居ました。
 それは出家して尼の姿になった、あの仏御前でした。
 祇王が舞わされている姿を見て彼女も、「自分もいつかあのようになるのか」と世の無常とはかなさを思わずにいられなかった、とのことでした。
 仏御前も今までのことを祇王たちに謝罪し、一緒に出家させてほしいと願います。
 祇王たちはそれを受け入れ、4人は仲良く仏道に励み、最後は往生を遂げました。

 以上が祇王の物語のだいたいのあらすじです。


 おそらくは祇王たち4人が過ごし、往生を遂げたであろう本堂の庵(いおり)が見えてきます。








 祇王の絵馬と、祇王の物語を書いた案内板がありました。








 良縁祈願のご利益があるようですが……。
 しかしこの寺に伝わるのは、男の身勝手な心変わりに振り回されて不幸になった女性たちが、最後は男から自立し、最後は恋愛など俗世の感情からも自由になる、という話だったはず。
 ということは、恋愛祈願などよりも、悪縁切りの祈願をした方がいい場所ではないかな。
 良縁を望む人よりも、自立したい人や、不倫や失恋などで傷付いた人、DVやモラハラ、依存的な人間関係から解放されたい人などが祈願しに来る場所じゃないかな、という気が私にはしたのですが。

 本堂内部は撮影が禁止されていましたので、その様子をここでお届けすることはできませんでしたが。
 中には、本尊の大日如来像が祀られていました。
 本尊の周りには、祇王、祇女、母・刀自、仏御前と、そしてあの平清盛の像が安置されていました。
 それを見て私は少し複雑な想いに囚われました。
 考えてみればそれは、何とも凄い光景です。
 何しろ一人の男が、愛人1号、愛人2号とさらにその家族に取り囲まれているのですから。
 これを見て「うらやましい」と思うのか。
 あるいは「こりゃ大変な修羅場だな……」と思うのか。
 人それぞれでしょうが、私は後者です……。

 本堂の庵を出て、さらに境内を進みます。









 祇王、祇女、刀自の墓と、平清盛の供養塔が仲良く並んでいますが……。





 ただ私としては……。
 あれほど酷い仕打ちをしたあげく捨てたような身勝手な男と。
 それでもそこから自立して、自分の道を歩き出し、最後は仏教の「往生」という形で幸福を得た女性たちとを、今更わざわざ一緒にしてやる必要があったのだろうか。
 それは余計なお世話ではないかって気もするのですが……いかがでしょうか?









 こうして、紅葉を眺め、いろいろ思いを馳せながらも、この霊場を後にします。
 他の季節に来ても面白そうですね。









 今回はここまで。
 また次回。




*祇王寺へのアクセス・周辺地図についてはこちらを参照。


*祇王寺のHP
http://www.giouji.or.jp/top.html




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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