京都の闇に魅せられて(新館)

特別編・コロナ危機下で祇園御霊会の聖地を巡る・その2 @ 京都妖怪探訪(696)





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 どうも、こんにちは。
 シリーズ前回の続きで、疫病(いわゆるコロナ、新型肺炎)退散祈願も込めて、「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」の聖地を巡ります。

 「祇園御霊会」とは何かと言いますと、現在でも有名な京都・祇園祭の元になったとも言われる祭事です。
 元々は貞観年間(859~877年)、京の都に疫病が流行し、天災が頻発した時、京都・神泉苑での行われた御霊(ごりょう、みたま)や疫神を鎮める為に行われた祭事のことです。
 御霊とは、政争に敗れたりして非業の死をとげた人々の霊、わかりやすくいえば怨霊ですが、当時は疫病や災害などの原因は、怨霊や疫神だと考えられていたからです。
 その後、当時の全国の数である66の鉾を創って神泉苑で厄払いが行われました。
 この鉾の巡行に山車を加えたものが、現在の祇園祭につながったとされています。
 今年はコロナ危機の影響で山鉾巡航は行われないようですが、全国的に有名な祇園祭も、元はこういう宗教的というより呪術的な意味合いの強い神事だったわけです。

 今回はこの御霊会が最初に行われたという京都・神泉苑を巡ります。
 京都・二条城の堀沿い・押小路通り。






 押小路通りに面した神泉苑の北門。





 門の横には、数年前の台風で折れた大木の姿も。
 この北門には、百鬼夜行の群れが現れたという伝承が「今昔物語」などで語り継がれています(※その詳細はシリーズ第227回など)。
 もっとも、平安時代の神泉苑の敷地は現在よりはるかに広大で、当時の北門の位置ももっと北、現在の二条城敷地内にあったという話ですが(※その詳細はシリーズ第346回を参照)。


 北門から中へ。






 やや見頃を過ぎた感はありましたが、つつじの花が咲いていました。









 恋愛祈願などのスポットとしても有名らしい「法成橋」。









 この橋には「かの小野小町が降雨祈願の和歌を詠んで雨を降らせた」とか。
 「源義経と静御前が最初に出会った場所である」などの言い伝えが遺されています。
 更に、「その時、100人の僧と100人の白拍子が降雨祈願して、静御前ただ一人が成功した」などという、ただ美しいだけでなく、芸能者として、異能者・呪術者としても抜きん出た能力を持っていたというスーパーヒロインの別の側面も見られる伝承も遺されています(※その詳細はシリーズ第225回を参照)。


 鯉や水鳥が泳ぎ、竜船が浮かぶ現在の神泉苑、「放生池」。











 ここには、竜神や竜穴、化け狐、百鬼夜行など様々な伝説・伝承が遺されていますが。
 現在は京都・東寺の飛び地境内でもある神泉苑の本堂「利生殿(りしょうでん)」です。





 勿論、礼拝(らいはい)していきます。
 貞観5年(863年)、当時は疫病や天災が相次ぎ、その原因と考えられた6柱の御霊(6名の怨霊)を鎮める為の御霊会(ごりょうえ)が行われました。
 この6名が誰なのか、どうも資料によって少々食い違いもあるようですが、以下の5名と後に加えられた1名だそうです。


*崇道天皇(早良親王)
 光仁天皇の御子、桓武天皇の同母弟。藤原種継暗殺事件に関わった容疑で廃太子され、無実を訴えるため絶食したが、淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近(現・大阪府守口市の高瀬神社付近)で憤死。これは、息子の安殿親王(後の平城天皇)を皇位につけたかった桓武天皇による冤罪ではないか、とする摂もある(※興味ある方は葛城トオル氏によるこちらのエッセイもご覧頂ければ)。

*伊予親王
 桓武天皇の第3皇子だったが、謀反の疑いをかけられて母・藤原吉子と友に自殺。後に無罪が認められた。

*藤原吉子(ふじわらのよしこ)
 桓武天皇の夫人で、伊予親王の母。謀反の疑いをかけられて幽閉され、伊予親王と共に自殺。のちに二人の無罪が認められる。藤原氏の権力闘争の犠牲になったと考えられる。

*橘逸勢(たちばなのはやなり)
 平安時代の官人で、空海・嵯峨天皇と共に「三筆」と称された文人。謀反の疑いをかけられ、拷問まで受けたあげくに、伊豆へ流罪に。その途中で病没。

*文屋宮田麿(ふんやのみやたまろ)
 平安時代初期の官人。謀反の疑いをかけられ、伊豆国へ流刑になった。



 後に加えられたというのが、以下の1名。


*藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)
 奈良時代の貴族・政治家。政争に敗れて太宰府に流され、反乱を起こすも敗死。その後、怨霊となって祟ったという話も。



 以上の6名の霊を鎮める為、読経、舞や雅楽、雑技などが行われ、その際は当時あった四つの門が解放され、 天皇や貴族だけでなく、民衆も出入りしたと伝えられています。


 ただ私一人だけでは、大した芸も出来ないので、こうして礼拝して祈願することしか出来ませんが。


 神泉苑の南側。御池通りに面した大鳥居からこの霊場を後にします。






 ただこの時、寺務所が閉まっていて、欲しかった「神泉苑御霊会」の御朱印がもらえなかったのが残念。
 今回はここまで。
 シリーズ次回はもう1カ所、祇園御霊会の聖地を巡ります。





*神泉苑への地図・アクセスはこちら




*神泉苑のHP
http://www.shinsenen.org/index.html




*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/




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