京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(32):松原橋




 冒頭の画像は、有名な「牛若丸(源義経)と弁慶、五条大橋の戦い」を元にして造られた像です。
 この伝説の舞台とされている五条大橋のそばに、今でも立っています。

 でも……。

 実を言いますと、この伝説の舞台となったのは、五条大橋ではなかったそうです。
 より正確に言えば、現在の五条大橋ではなかったそうです。
 現在の五条通り、交通の大動脈・国道一号線の鴨川にかかる現在の五条橋です。





 しかし元々の五条橋は、ここではなかったそうです。
 元々の五条橋は、現在の五条橋よりも鴨川を少し川上の松原橋辺りの場所にあったそうなのです。

 恥ずかしながら私は、このことはごく最近知ったのですがね。


 現在の松原通り。高瀬川と交わる交差点の付近です。





 ここは、有名な木屋町通りとも交わる場所です。
 もっとも、京都市のメインストーリートともいうべき四条通からここまで南下しますと、多くの人が抱く歓楽街としてのイメージはあまりありませんが。

 その交差点を、東側に歩きます。





 ごく普通の町の風景ですが、その先に見えてきました。
 橋の欄干とか見たら、いかにもそれらしい感じがしますが、それ以外はごく普通の橋にしか見えません。

 しかし、妖怪研究で有名な小松和彦氏の著書『日本魔界案内』の中には、松原橋に関して次のような記述があります(以下、引用)。


>私は、清水寺に参詣するときには、必ず松原橋を渡ることにしている。なぜなら、かつての五条大橋がこの位置にかかっていたからである。鴨川にかかる橋は、松原橋であろうと、五条橋であろうと、市場橋であろうと、とりたてて注目するほど特異な形をしたものはなく、しかもまたたくまに渡りきってしまう長さである。京都の歴史をよく知らない観光客などは、これらの橋を渡ったからといって特別な思いをいだくこともないはずである。
 しかし、私にとっては特別な感慨をいだかせる橋であるのだ。なぜなら、今日では建物が密集する京都の中心地となっているが、これらの橋は京都が成立してから長いあいだ、「あの世」と「この世」の境界にかかる橋だったからである。鴨川の西側は洛中といい、東側は洛外というが、これはまた「あの世」と「この世」ということをも意味していた。
 では、どうして「あの世」と「この世」だったのか。わかりやすくいえば、このあたりは洛中に住む人びとの葬送の地だったからなのだ。……

……(中略)……

 当時の人びとにとって、人の世は無常であった。生前どんなに活躍した人であろうと、やがては死に、そのときは周辺の葬送の地に運ばれ、長い時間をかけて荼毘にふされる人もあれば、なかには柩のまま置き去られたり、むき出しのまま放置された遺体もあったらしい。そんな遺体には烏や野犬が群がり寄ってついばみ、くらいついたのであった。
 そればかりではない。死者への供物や遺品のたぐいを狙う盗人や乞食たちも徘徊していたことだろう。かつての五条橋は、そうした世界へ至る橋、「あの世」への参道であったのだ。


(引用ここまで)


 松原橋の西の入り口付近です。





 冒頭で紹介した、牛若丸と弁慶の戦いも、ここで行われたのでしょうか。
 小松氏の言うとおりならば、ここが「あの世」へ至る道への入り口ということになります。

 この橋を渡り、そのまままっすぐ東に進んだ先には、六波羅蜜寺や、前回紹介しました西福寺シリーズ第29回第30回で紹介しました六道珍皇寺、そしてこれまでに何回か紹介した清水寺などがあります。

 つまり、この橋から松原通りを東へ進んでいくと、今でもこの辺りが葬送の地だった頃の、「この世」と「あの世」と境目だと考えられていた頃の遺産を見ることができるのです。
 そして、意識したり、予備知識等をもって見てみれば、人の世の無常というものを感じさせる旅になることでしょう。

 橋を少し渡ってみます。





 やはり、ごく普通の橋という感じしかしません。
 ただし小松氏のように、予備知識をもって意識しながら渡れば別でしょうが……。





 松原橋の上から、鴨川を眺めた光景です。





 松原橋を東へ渡りきった場所から、元来た道を振り返ってみました。
 川沿いに旅館や料理屋らしき建物も見えて、少しばかり「京都」という雰囲気がします。





 橋を東へ渡りきったところにある交差点です。
 この時は確か4月の終わり頃でしたが、鴨川沿いにはまだ残っている桜も見られました。


 ここから、鴨川岸の道へと降りてみます。
 松原橋が、元々の五条橋だとすれば、その下辺りの河原はかつての五条河原だということになります。
 私がそこに注目するのにも、理由があります。
 というのも、本シリーズでも何度か取り上げた大陰陽師・安倍晴明に関する伝説のひとつが、かつての五条河原にもあるからです。
 その伝説の紹介は、長くなりますので次回にします。


 それにしても、一見するとなんでもない風景の中にも、意外な歴史や伝説等が残されていることがしばしばあります。
 こういうこともあるから、京都散策は面白いのです。



*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm





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