こもれびの日記

日々の暮らしをつづります。コモちゃんは夫です。コメントは管理人の判断で削除する場合があります。ご了承下さい。

ことでん瓦町ビル@高松

2014-07-04 | 食べ歩き(夕食+市外ランチ+カフェ)
2階のビームスの隣がロフトです。


前より広いのかな~。

7月10日オープン。宮脇書店も。

3階から8階までシャッター降りてます。

淋しいわねえ。

でも天満屋跡も駅ビルとして復活させるよう頑張ってるらしいです。


9階のフードスペースに行ってみました。

半分くらい閉まってます。

がんばってるお店もあります。


私も何か貢献を!
中華料理のランチで。

お客は10人くらい・・

四川料理でした。飲み物付きで950円。


帰りに常盤街を通ったら3ブタとか混んでました。

中新町の地下道ではこんな展示がされてました。








いつの間にか戦争になってた、とあの当時の人は言ったけど・・・
今同じ感じな気がする・・・


コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« わらびもち | トップ | オオヤマレンゲ »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
写真展は観ました (teru)
2014-07-05 23:01:00
4日の午後、社内の打ち合わせを生涯学習センターの会議室を使って行いました。
早めに到着したので1Fの展示物をじっくりと見ました。
それが「高松空襲写真展」でした。

私は広島市生まれなので、親せきの中で原爆で亡くなった人がいます。冷戦前の駆け引きによる原爆投下は許せません。爆風や火事での被害より一番恐ろしいのは目に見えない遺伝子の破壊です。
返信する
Unknown (こもれび)
2014-07-06 09:05:24
teruさん、もちろん戦後生まれでしょうから被災されたわけではないのでしょうけども、たぶんご両親は目の当たりにされたことでしょう。大変つらい思いをされたと思います。放射能・・遺伝子の破壊・・次の世代にまで及ぶことです。
今進行している福島の現実からも逃げている時代の空気が怖いです。

高松空襲の地図を見ると、今さらながら母の実家がある宮脇町の悲惨さが伝わってきます。
母の祖母は逃げようという家族を振り切って、私がこの家を守ると言ってとどまって死んだそうです。
コモちゃんは終戦の年の2月生まれなので、この日は義母の背中におわれて亀井町から栗林公園の池まで逃げたそうです。何度も義兄や義姉に、(この子は)息しとるな?と聞きながら逃げたそうです。
でも広島はそんなものじゃなかったですね。
沖縄や広島で語り継ぐ人たちに向かって見学の生徒たちが悪態をついたということが報道されましたが、悲しくなります。わかってないねえ、このままだとあなたたちは戦争に行かなきゃいけなくなるかもしれないのに。
返信する
Unknown (こもれび)
2014-07-06 09:16:22
コモちゃんから訂正。
終戦じゃない、敗戦だ、と。
返信する

コメントを投稿