大河「青天を衝け」は近代日本の歴史が今から始まります。
江戸以降、列強の植民地支配から日本が他のアジアの国と違い
どげんやって富国強兵、国造りばして立ち向かったか?教科書で教えん日本の近代歴史。
最近明治以降~昭和初期の歴史ば今一度知る方向になりよるとは
良かことですね。
知ってみれば西欧諸国がいかに自分勝手で差別と利己主義で
人権ば蹂躪して来たかが良うわかります。
返す返すも戦争に負けてしまうたとが残念です。
最近、中国のドラマにはまって見よりますがかの国も
奴婢(奴隷)がまかり通った国です。
その点、日本の歴史の中にはおりません。
階級社会の差はあっても日本は昔から奴隷制度はありませんけんね。
このお話はここまで・・
さてやっぱおいしゃんは戦国時代の歴史が好き・・
本当のことがわからんけん面白かとです。
先日、ある歴女(歴史好きな女性)と話す機会のありまして
話が盛り上がりましたもん・・
今回は本能寺の諸説ば色々・・・・・・
今回の「麒麟」の筋書きと似とうけど最後がちょこっと違う説。
光秀は実は信長ば討つことことは知らんかった説。
配下が朝廷のスラごとで起こした説のあります。
ばってんがこれは「信長公記」によれば疑わしかです。
事細やかに一人の明智の配下の武士が討ち入りの最初から克明に記述しとりますけんね。
ま一つは、信長ば討ったあと光秀は切腹して信長の息子たちに
政権ば渡すとやったて言う説。
いずれにしても信長のやり方に光秀は異ば唱えとったとには違いありません。
おいしゃんが習った歴史では光秀は「三日天下」で天下の反逆者て
おそえられてきましたばってんが色々歴史ばひも解いていったげんたい
光秀ば悪う書いた文献は一つもありません。
やっぱ朝廷がいろいろかかわっとったとは真相でしょうね。
最後にこれは小説やばってんが
秀吉の策略説、どう見たっちゃ秀吉の中国大返しは準備しとかなできんやったはず。
小説では光秀が本能寺で謀反ば起こすごと仕向けて
秀吉は密かに抜け穴ば掘って信長に進言しとったて言う説
そいけん信長の遺骸は見つかっておらんて言う話。
そしてその抜け道ば途中で塞いどったけん信長は窒息死・・・
ところが秀吉も信長の遺体ば見つけ切らんで後に葬式するとぃ
木像ば焼いて済ませたて言う事実のあります。
面白かね~
ばってんが昔の足軽の兵隊さんの体力も考えてみたら凄かやね
中国地方から徒(それも駆け足)馬に乗ってちゃそれはきついとに
京都まで大返しやもん。
して中国はまだそれより広かとぃ何万の軍勢が何十里も進軍するっちゃもんね。
もっと凄かとが情報伝達者(早飛脚?)どんだけ早ぅ走りきいと?
ろくに栄養も無か食事で体力使うけん今より寿命が短かかとがわかりますよね。
戦国時代は太平天国の江戸時代より食糧事情は悪かったろうし
ましてや軍隊の糧食も粗末なもんやったでしょうに・・・・・
白米と味噌や漬物だけじゃ栄養状態はかたよるばってんが
この時代は食えること自体がありがたいとですもんね・・・・
これは最近の戦後の日本でも同じで叔父から聞いた話では
休みの日に白飯のおにぎりだけ持って宝満山に上りに行くとが
楽しみやったて、食うことよりレジャーが主体ですけん。
今はレジャーは食べるとが主体ですもんね、豊かな時代です。
本日はこの辺で・・・・
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