周防正行監督の「シコふんじゃった」「Shall We ダンス?」は日常生活の中のほんわりした出来事を扱ったホームドラマだったので、今回も裁判を風刺したコメディタッチかと思っていたのだが、意外にも、免罪事件を扱ったシリアスな社会派ドラマだった。
満員電車で痴漢に間違われ、現行犯逮捕されてしまった青年、金子徹平。連行された警察署で容疑を否認すると、そのまま拘留され、「罪を認めれば、小額の罰金で済むが、否認し続ければ拘留が続く」と、担当弁護士から理不尽なアドバイスまで受けてしまう。
映画では、無罪判決を連発した裁判官が配置換えされる場面や、「裁判官の心証を害さないように」と、裁判官一人の人柄や感情に頼る裁判の理不尽さが描かれている。
検察が起訴した被告人を無罪にする=検察の捜査と判断を否定する、ことになる。上級審で判決が覆れば、自分の審判ミスと受け取られかねない。
無実の罪で証言台に立つ被告人を救うことのできる人間は、「裁判官」だけであり、それだけの重圧を裁判官が背負っているのもまた事実ではある。
であるからこそ、権限を一人に与えることの意味、人間が人間を裁くことの重さについて改めて考えさせられる。
行政執行の場においてもまた同様の関係性が生じている。多くの税金を注いで施行する事業が市民益に適ったものである、と判断する権利を与えられている者の責任は重い。
↓こちらもご覧ください。
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