返還前の香港。
道路の名称がロンドンのストリートと同名であっても、広東語を常用し、麺類や粥類の屋台料理があふれる町並みは、イギリスでも中国でもない混沌とした空気で包まれていて、その狭い土地の空気も人々も生活も、訳もなく魅力的でした。
1985年前後の数年間、2,3日の休暇がとれると、私は格安航空券を探し、何度も、その混沌とした町並みに足を踏み入れてきました。
高層ビルの真下のビクトリアパークに早朝から集まる人々が、太極拳でゆっくりと身体を動かす風景は、まだ訪れたことのない悠久の中国文化をイメージさせ、輪に加わって、見よう見まねで身体を動かしたりしました。
今では日本でも一般的になったフリーマーケットも、その頃は、まだ珍しく、ジャンクの山に心が逸ったものです。
ぷるぷるの蝦が詰まったワンタンヌードルや、多彩な点心が乗ったワゴンに、つい手が伸びる飲茶、路上で調理される屋台フードは日本のそれより何故か美味で、香港から帰ると、いつもたっぷり体重が増えていました。
やがて、1997年7月に中国に返還され、「中華人民共和国香港特別行政区」となった香港には、一度も足を踏み入れていません。
それまで、無性に惹かれていた気持ちが、返還という政治的な事実と共に、すっと消えてしまったのは、曖昧な存在ではなくなってしまったからかもしれません。
道路の名称がロンドンのストリートと同名であっても、広東語を常用し、麺類や粥類の屋台料理があふれる町並みは、イギリスでも中国でもない混沌とした空気で包まれていて、その狭い土地の空気も人々も生活も、訳もなく魅力的でした。
1985年前後の数年間、2,3日の休暇がとれると、私は格安航空券を探し、何度も、その混沌とした町並みに足を踏み入れてきました。
高層ビルの真下のビクトリアパークに早朝から集まる人々が、太極拳でゆっくりと身体を動かす風景は、まだ訪れたことのない悠久の中国文化をイメージさせ、輪に加わって、見よう見まねで身体を動かしたりしました。
今では日本でも一般的になったフリーマーケットも、その頃は、まだ珍しく、ジャンクの山に心が逸ったものです。
ぷるぷるの蝦が詰まったワンタンヌードルや、多彩な点心が乗ったワゴンに、つい手が伸びる飲茶、路上で調理される屋台フードは日本のそれより何故か美味で、香港から帰ると、いつもたっぷり体重が増えていました。
やがて、1997年7月に中国に返還され、「中華人民共和国香港特別行政区」となった香港には、一度も足を踏み入れていません。
それまで、無性に惹かれていた気持ちが、返還という政治的な事実と共に、すっと消えてしまったのは、曖昧な存在ではなくなってしまったからかもしれません。