週末の国内移動に飛行機を使いました。
ここ数年、国内線を使う移動が多く、地方空港に出入りしていると
これほどまでに飛行機を利用する人々がいるのだという事実に
かなりのショックを受けていました。
それまでの私は、離島や北海道の移動はともかく、
国内を空路移動するという行為は、
資産階級の方々の特権だと思っていたからです。
しかし数年前、仕事で青森に空路移動で呼ばれた際、
「東京からJRを乗り継ぐより、飛行機の方がずっと経済的なんです」
と言われて目から鱗でした。
初めて飛行機に乗ったのは小学生の時、
「日本万国博覧会」見物に家族5人で大阪まで乗ったYS11。
新し物好きの両親は、一見贅沢に見える品物や行為でも
「新しい」「珍しい」には、生活費を切り詰めても体験する人たちでした。
現在、航空券の予約・購入は、可能な限りインターネット上で行います。
24時間いつでも操作が可能で、座席指定ができ、
さらに運賃が割引されるというメリットが魅力的です。
で、今回はさらに一歩踏み込んで、
「スマートeチェックイン」に挑戦しました。
前日の22時には、自動的にチェックイン手続きが進み、
当日、フライト15分前までにゲート前の自動チェックイン機で
チケットを発行すれば搭乗できるという優れたシステムです。
実際、前日には「明日搭乗ですよ」というメールが携帯電話に入り、
当日も、「チェックイン締切時刻」のお知らせメールを何度か受け取りました。
念には念を入れたケアに脱帽です(ややしつこい感もしますが)。
そして、今回初めて、
「QRコード」という2次元コードを使ってみたのです。
指示された方法で自分の携帯電話にQRコードを取り込むことに
しばし、試行錯誤しましたが、理屈より感の導きで操作しているうちに
取り込みに成功(^^)v
会議が終わり、時計を気にしながら地下鉄を乗り継いで羽田空港へ。
胸をわくわくさせながら、自動チェックイン機の前に立ちました。
自分の携帯電話に蓄積したデータを取り出し、指示画面にかざすと
「ピッ」と軽快な電子音と共に、エアチケットが排出されてきました。
おー!
ずっと気になっていたQRコードの存在でしたが、
安価で単純機能の私の携帯電話がその役割を果すなんて…。
電話と電子メール機能だけで使っていた「携帯電話」が
「ケータイ」としての姿を見せた初の所作でした。
結局、空港でゆっくりチェックインするゆとりと余裕を
失った生活を送っているということなのでしょうけれど。
ここ数年、国内線を使う移動が多く、地方空港に出入りしていると
これほどまでに飛行機を利用する人々がいるのだという事実に
かなりのショックを受けていました。
それまでの私は、離島や北海道の移動はともかく、
国内を空路移動するという行為は、
資産階級の方々の特権だと思っていたからです。
しかし数年前、仕事で青森に空路移動で呼ばれた際、
「東京からJRを乗り継ぐより、飛行機の方がずっと経済的なんです」
と言われて目から鱗でした。
初めて飛行機に乗ったのは小学生の時、
「日本万国博覧会」見物に家族5人で大阪まで乗ったYS11。
新し物好きの両親は、一見贅沢に見える品物や行為でも
「新しい」「珍しい」には、生活費を切り詰めても体験する人たちでした。
現在、航空券の予約・購入は、可能な限りインターネット上で行います。
24時間いつでも操作が可能で、座席指定ができ、
さらに運賃が割引されるというメリットが魅力的です。
で、今回はさらに一歩踏み込んで、
「スマートeチェックイン」に挑戦しました。
前日の22時には、自動的にチェックイン手続きが進み、
当日、フライト15分前までにゲート前の自動チェックイン機で
チケットを発行すれば搭乗できるという優れたシステムです。
実際、前日には「明日搭乗ですよ」というメールが携帯電話に入り、
当日も、「チェックイン締切時刻」のお知らせメールを何度か受け取りました。
念には念を入れたケアに脱帽です(ややしつこい感もしますが)。
そして、今回初めて、
「QRコード」という2次元コードを使ってみたのです。
指示された方法で自分の携帯電話にQRコードを取り込むことに
しばし、試行錯誤しましたが、理屈より感の導きで操作しているうちに
取り込みに成功(^^)v
会議が終わり、時計を気にしながら地下鉄を乗り継いで羽田空港へ。
胸をわくわくさせながら、自動チェックイン機の前に立ちました。
自分の携帯電話に蓄積したデータを取り出し、指示画面にかざすと
「ピッ」と軽快な電子音と共に、エアチケットが排出されてきました。
おー!
ずっと気になっていたQRコードの存在でしたが、
安価で単純機能の私の携帯電話がその役割を果すなんて…。
電話と電子メール機能だけで使っていた「携帯電話」が
「ケータイ」としての姿を見せた初の所作でした。
結局、空港でゆっくりチェックインするゆとりと余裕を
失った生活を送っているということなのでしょうけれど。