見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

痛さが残る「母たちの村」

2006-12-13 23:55:03 | 文化・映画・演劇・音楽
ずっと気になっていた「母たちの村」を観た。カンヌ国際映画祭のグランプリ受賞作品。西アフリカの古い因習の残る村で、女性性器切除の習慣と闘った女性の物語だ。

「アフリカの巨匠、ウスマン・センベーヌ監督が描く愛と尊厳と勇気の物語」というキャッチだったが、女性性器切除の儀式に抵抗する一人の女性を中心に据えながら、男尊女卑の現実を映画は淡々と描き、いくつかのシーンで、鳥肌が立つほどの怒りと悲しみを覚えた。主人公が倒れる寸前まで夫に鞭打たれ続けるシーンが脳裏を離れない。

女性にも「割礼の儀式」があると知ったのは、それほど昔のことではない。

「男子割礼には必然性がある」と言った知人の言葉には納得できるものがあったが、対して女性の割礼と聞いた時、「切るもの」についてイメージできるものはなかった。

そして知ったのは、割礼とは名ばかりで、男性のそれとは似ても似つかない「女性器切除」という極限の残忍行為という事実だった。1995年の北京女性会議でも、深刻な課題として認識されたことが記憶の隅に残っている。

映画の舞台は西アフリカで、長老たちは「イスラムの教えだ」と力説していたが、アジアや中近東でも、キリスト教でもそうした習慣があると言う。宗教独自の教えではなく、その地方の因習が絡み合ってできたものだ。

体の中で最も敏感な場所を切除するなど、想像しただけで鳥肌が立ち、その残酷さを生み出す男尊女卑思想に憤りの行き場が見つからない。数種類の切除方法は、それを文字化することに躊躇するほど残忍だ。

世界28ケ国、1億2000万人が女性割礼を受けていると推定され、現在も毎年200万人が新たに受けていると、米国の女性保護団体が報告している。

映画では、割礼の後遺症のために2人を死産した女性コレが、村中から「不浄の娘」と非難されても自分の娘の割礼を拒否し、さらに彼女の元に逃げ込んだ少女4人を決死の覚悟で守り、村の女性たちが団結していく顛末が描かれている。
コレを支えていたのは、ラジオから流れてくる様々な情報だった。「イスラムは割礼を奨励していないとラジオで指導者が言っていた」とコレは反論する。だから、男たちは、村中の女たちのラジオを取り上げて焼き捨てる。

映画のエンドロールでは、「女たちに教育を」「女性たちを学校へ」と力強い女性が高らかに歌う。

自分がネパールでしていることにも通じるものがあるが、女性たちの苦しみや悲しみは決して開発途上国だけの問題ではないと思い馳せながら、足取り重く家路についた。


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