新編 辺境の物語 第二巻 カッセルとシュロス 中編 12話
第七章【横暴なローズ騎士団】②
コーリアスとミレイを調べただけでビビアン・ローラは飽きてきた。
「戦場の話は聞くのもイヤ、金とワインの方が大事だわ」
「経理の責任者にはニコレットを向かわせてあります。留守番役の事務方ですので、副団長が直々に調べる必要もないでしょう」
答えたのは参謀のマイヤールだ。
「そうだった。それじゃあ、もう終わりだ」
「お疲れのところ、あと一人残っています」
「次は誰を調べるの」
「退却の責任者、ナンリという部隊長です」
「部隊長、そんな下っ端、どうでもいいじゃん」
王宮の親衛隊の副団長からみれば、辺境の軍隊の部隊長などは、遥か下のそのまた下の階級である。通常であれば直に口を聞く相手ではない。しかし、参謀のマイヤールは、先に調べた参謀の証言との整合性を調べるためには部隊長の尋問が欠かせないと言った。
長く座っていたら腰が疲れてきた。いつもは柔らかいソファーに座っているのに、ここではガタついた木製の椅子でおまけにクッションも固い。
いいことを思い付いた。ローラは召使いのレモンを呼んだ。レモンを四つん這いにさせて即席の人間椅子にしたのだ。背中に腰を下ろしてみると、レモンの背中はちょうどいい椅子になった。
そこへ部隊長が部屋に入ってきた。
「うっ」
ローラはギクリとした。
鎧兜は外しているものの、部隊長のナンリは戦場帰りの異様な雰囲気を漂わせていた。何人も斬り殺してきたに違いない。人殺しとはこのことだと震え上がった。ここで暴れられたら皆殺しにされそうだ。ナンリが敵に見えた。
レモンの背中から落ちそうになり慌てて髪を掴んだ。
「お、お前は誰だ・・・そうだった、ぶ、部隊長か、座れ」
威厳を保とうとして床に座れと命じた。
そこには奇妙な光景が出来上がった。
床に跪くナンリ、その前には人間椅子のレモン。レモンの背中にはローラが座っている。ローラはお尻に力を入れてグイグイと揺すった。小柄なレモンは潰れてはいけないと必死になって手足を突っ張っている。
「うくっ・・・う、あひっ」
「王宮と違って、ここの椅子は固くてさ。だから、コイツに跨っているの」
「ああっ、ひぇぇぇ」
ローラが揺するのでレモンの腕がブルブルと震えた。
「コイツは召使い、奴隷とも言うけど。これぐらいしか役に立たないわけ。そうだよね。ええと、コイツは」
動揺してとっさに召使いの名前が出てこなかった。
「レモンですよ」
「そうだ、レモンだった」
ローラはレモンの髪をグッと引っ張った。
「ほら、レモン、しっかりするんだ」
「うっ・・・ひぇぇぇん」
「ふん、こんなヤツ」
ナンリを睨んで召使いを屈服させている様子を見せつけてやった。レモンを人間椅子にしたのでナンリよりも優位に立つことができている。
「面白いでしょう」
「はあ、それは・・・」
ナンリは返事に窮した。召使いを椅子替わりにするとは、人を人とも思わないやり方だ。四つん這いで懸命に耐えているレモンが気の毒になった。泣きそうになっている。だが、ここで同情したらレモンにはさらに酷い仕打ちが待っているだろう。
ローラが人間椅子に座ったまま取調べが始まった。
「さてと・・・お前は無傷のようだけど」
参謀のマイヤールはナンリが怪我を負っていないことを不審に思った。
「ひょっとして逃げ回っていたの? この卑怯者は」
思いがけない追及を受けてナンリは戸惑った。敗戦を叱責されるのは当然としても、決して逃げていたのではない。フィデスとともに守備隊の副隊長を捕虜にした、敵の戦闘員と互角に渡り合った。困難な状況で退却を指揮し、一人の脱落者も出さずに帰還を果たしたではないか。それなのに、いきなり卑怯者と罵られたのだ。とんだ誤解である。あのとき戦場にいた者に尋ねてくれれば疑いが解けるはずだ。
「どうか他の者にお尋ねください、あたしが逃げていたというのは・・・」
「黙れ。参謀も副隊長も重傷を負っているというのに、お前はどこも怪我していないようだ」
ナンリを標的にするか・・・
ローラはスワンの代わりに、この女を標的にすることにした。負傷した者を虐めるのは少し気が引けるが、部隊長のナンリは無傷である。しかし、相手は相当に力が強そうだ。何か理屈をつけ非を認めさせ、そして自由を奪ってからでないと太刀打ちできそうにない。
「コイツは嘘をついている、さっき尋問した者と証言を照らし合わせなさい。いいわね、マイヤール」
コーリアスを呼ぶようにと参謀のマイヤールに命じた。
マイヤールが部屋を出て行ったので、ローラとナンリ、それに召使いのレモンだけになった。
途端にローラは息苦さを覚えた。ナンリの身体から発せられる気迫に圧倒された。それもあきらかに血の匂いが混じっている。今にも飛び掛からん勢いだ。マイヤールを行かせたのは失敗だった。ローラも部屋から逃げ出したくなった。
「おひっ」
ナンリが膝を立てたのを見てローラは声を上げてのけ反った。その拍子に、椅子にしていたレモンが耐え切れなくなって肘を着いた。
「バカッ」
ローラは立ち上がってレモンの尻を蹴った。レモンはゴロンと転がってナンリの足にぶつかった。
「す、すみません」
「大丈夫ですか」
レモンが起き上がるのを助けようとナンリが手を差し伸べた。だが、レモンは四つん這いのままローラの足元に這って行くのだった。
しばらくして参謀のマイヤールが月光軍団のコーリアスを連れてきた。
いいところへ戻ってきてくれた。ローラはナンリの圧力を受けて、もう少しで助けを呼ぶところだった。
「この隊長が・・・」
誤って隊長と言い間違えた。
「無傷なのはおかしいと思わないか、コーリアス」
ローラの尋ね方は、いかにもナンリを陥れようとしている言い方だ。
「戦場で逃げていたんでしょ」
「いえ・・・それは、ないと思います」
一緒に戦ってきたコーリアスがきちんと証言してくれたのでナンリはホッとした。これで疑いが晴れるだろう。
しかし、机の下の見えないところでマイヤールがコーリアスの足を蹴って合図を送った。蹴られたコーリアスはローラの顔色を伺った。
「あ・・・ただ、いえ、その、思い出しました。敵を、守備隊を・・・」
「敵をどうしたの」
「いえ・・・そうでした、敵を助けるのを見ました」
「本当か」
「見習いみたいな隊員がいまして、隊長は道端に放置すると決めたのですが、ナンリはカッセルへ逃がそうと・・・はい、ナンリの上官の副隊長フィデス・ステンマルクも一緒になって敵を見逃してました」
ローラはニタリと笑った。これはいい追及の材料になる。事前に参謀のマイヤールが吹き込んだのだろう、これこそ役に立つ参謀というものだ。
「そうか、ナンリ、敵を見逃したのね」
一応、本人にも問い質した。
「はい、本隊が逃走した後に、残された部隊の副隊長たちを捕虜にしました。そこに、鎧も身に着けず武装していない隊員がいました。メイドとして連れてきた見習い隊員だというので、それなら逃がしてもいいと思いました」
見逃したことは恥ずべき行為ではないのでナンリは素直に答えた。
しかし、ローラが畳みかける。
「敵を見逃したなんて、とんでもない裏切り行為じゃないの」
「はあ」
「メイドの格好をした戦闘員だったとは考えなかったのか」
「あれは戦闘員には見えませんでした」
「黙れ、お前のやったことは軍の規律違反だ、重大な規律違反だ」
「は、はい」
ナンリはガックリと肩を落とした。
「捕虜になった副隊長はお前の上官だっていうじゃない。まったくダメな奴らだわ。今ごろは、カッセルの城砦で拷問されてるでしょうよ。残酷な仕打ちをした守備隊のことだから、とっくに殺されているかもね」
これしかなかった・・・コーリアスはうなだれて部屋を出た。
ローズ騎士団の参謀から、監獄に入りたくなければナンリに責任を押し付けろと諭されたのだ。事実、フィデスとナンリは敵の見習い隊員には手を出そうとしなかった。それからというもの、守備隊は二人には手加減していたような気がしていた。助けた見返りだったのだ。それに比べてエルダをいたぶった自分は容赦なく鞭打ち刑にあってしまった。保身のためには騎士団に言いなりになるしかなかったのだ。
どうしてこんな展開になってしまったのだろう。
これではまるで軍事裁判だ。州都の軍務部に裁かれるなら致し方ないが、騎士団に裁く権利はないはずだ。州都軍務部のスミレはナンリの話を親身になって聞き、お嬢様を見逃した一件も、自分でもそうしたと同意してくれたのだった。
「処分を言い渡す。顔を上げなさい」
ローラに言われてナンリは我に返った。
「シュロス月光軍団は敗北し壊滅的な損害を被った。そればかりか、偉大なバロンギア帝国の名を貶めた。ナンリ、並びに、お前の上官のフィデスが守備隊を助けたことにより敗北したのだ。その罪は重大である。敗戦の責任を取らせ、当分の間、牢獄へ監禁する」
「・・・」
「分かったら返事をしなさい」
「はい」
「監禁だけでは済まされないと思え」
<作者より>
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