昨日は、幼稚園の運動会。
朝7:00からの準備に始まり、本番、片付け、打ち上げと続き、最後に解散したのは、打ち上げ会場のお店から『閉店時間を過ぎておりますので』と告げられた23:00過ぎであった。
仕事柄飲み会の数はそこそこ?こなしているものの、割とメンバーは固定していることが多く、交換できる情報や話題も偏ったものになりがちだったが、昨日のメンバーは違った。
幼稚園の父兄と言うことで、総じて若いという点と、職種も職位もバラバラで、ものの見方も十人十色。
誰かがものを言うと必ず『おらぁ~そうは思わねぇ~』という人間が現れ、そこから話しがどんどん拡がる。
一点だけ全員賛同した話題が『中山全国土交通大臣はよく言ってくれた』ということだったのも面白い。
勿論、内閣の一員としての責務云々は関係なく『教師を“師”として全うするのではなく、教職という“職業”として働いている輩が多すぎる。俺達PTAのPがしっかりとしていかないと、この国の将来はメチャクチャになる。教師を教職に変えてしまった日教組に正面切って物言いをした中山氏は大したもんだ』ということであった。
はじめは内閣の足を引っ張って許せんと思っていた自分も、議論が進む内になるほどな~と思うようになり、最後は全員一致で『中山よく言った』という結論になった次第だ。
こういった飲み会は本当に久々で、しゃべりすぎて今日は朝からガラガラ声・・・
もっとも長女から数えて8回目の運動会で、これが最後。
こんなに楽しい集まりであることを知っていれば、もっと積極的にPTA活動に参加していればよかったと反省した。
子供が通う幼稚園に足を運ぶのも、あと半年を切ってしまった。
これからはもう少し積極的に、子供の教育に関わり合っていこうと思う。
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保護者は神の高みから教職でしかない先生を査定するほどいつから偉くなったのでしょうか?日教組にその責をすべて負わせて、自らの子供に接することを振り返ることは忘れていませんか?
ドンドン参加してご活躍して下さいませ~。
きっとま→くんのために会長席をご用意して
待っている事と思いますよ。
私も少なからず役員をやりましたが
小学校での副会長は、活動に時間はとられるものの
強い絆の仲間ができて楽しかったです。
NHKの『気になる言葉』によりますと、
「師」には、『集団を導く者・教え導く者』という意味があり、例えば、牧師・宣教師・教師などがそうですね。そこから、『一芸に達した者・その芸を教授する者』を言うようになり、医師・看護師・調理師・・・など称号や商業名・資格などに使われるようになりました。
ということで、我々子供を持つ親が望んでいる教師像というものは『子供を教え導いてくれる先生』そのものだと考えます。
そう言った意味で、日の丸の掲揚や国歌の斉唱に反対したり、教師=労働者として自分達をみなしている権利闘争などに、『神』としての高みからでなく、一人の『親』として危機感を抱いているのは事実です。
また、当日参加メンバーの共通認識は『子供の教育は親の責任』といった点でも一致していていたと言うことも、末筆ながら申し添えておきます。
☆naorinさん
自分のPTAのイメージは、父が自分の小学校のPTAで会計役を拝命し、運動会の最後に壇上で『万歳三唱』をやった時の気恥ずかしさ・・・でしたので、その時の記憶が邪魔をしていました。
これからは、もし声がかかるようであれば、JC時代に培った『はい、よろこんで』精神でいきたいと・・・ぉもぃます。
それは、戦後、高等教育が大衆化したことから、教師よりもはるかに難易度の高い大学を卒業している保護者がいることも当たり前になっている現在、戦前のような保護者の過半数が低学歴であった教育環境とは、事実で、教師の権威は違います。そして、「師」という多くの教師像は、そのような戦前の教師であることがあります。
しかし、尊敬と権威を認知されていた時代の教師と、戦後の教師を単純比較で、「師」という語義だけで判断することは、その後の社会構造の変化から見て、どのような意味があるのか?と感じませんか、という問いなんです。
様々なご指摘ありがとうございます。
Unknownさんに触発されて、日教組の歴史や、親の意識の変遷等を、自分なりに勉強させていただきました。
それらのことについては、いつかまた『中年の主張』で書かせていただきたいと思います。
ただ、今回思ったことは『○○はこうあるべきだ』という考えが、みんなの考えの基本になっているということです。
政治家はこうあるべきだ、親はこうあるべきだ、男の子はこうあるべきだetc.・・・
これを思想の制約と捉えるのか、発展へのトリガーと見なすかは、それぞれ個人差があって構わないと思いますが、自分的には、モチベーションを高めるためのトリガーとした方が、ここを高めることに繋がっていくと考えます。