香竹日記

書道の奥深さを楽しんでいます

今朝の富士山

2020-10-20 21:12:22 | 漢詩
2020(令和2年)10月20日

人間界の営みにはお構いなく季節は移り変わって来ます。

今年はコロナ感染拡大を防ぐための影響で、富士山の山小屋の皆さんは全員で休業していましたし、
この界隈ですっかり外国人を見かけなくなりました。

個人的には、毎年東京で開催される各種書道展、刻字展、全て順延となり、3月24日に東京駅を出てその後東京には行く気持にならず、今日に到っております。。



富士山も10月5日には、朝日を浴びて燃えているかのようなお姿でしたのに ☟
 
写真提供は友人Kさん
 


今朝の富士山
 
写真提供は友人Kさん

もうすっかり雪を纏った富士山
寒さに向かい いろんな準備に取り掛かるのを、物言わずとも知らせてくれています。


ここで江戸時代中期の日本人の漢詩を一首
 
望富嶽  富嶽を望む ※ 江村北海(1713~1788)
   
萬里秋風拂玉鞍  
芙蓉直仰碧天看  
日華浮動千年雪  
散作扶桑九月寒 
 

万理の秋風 玉鞍を払う
芙蓉 直ちに碧天を仰いで看る
日華 浮動す 千年の雪 
散じて扶桑 九月の寒と作る


※ 玉鞍:美しい鞍。ふもとの山をなぞらえた。
※ 芙蓉:富士山
※ 日華:日の光
※ 浮動:漂い動く


遠くから秋風が吹いてふもとの山を払う。
富士山は、青空を仰ぐとくっきり見える。
万年雪は日の光に漂い動き、
やがて日本中に行き渡って晩秋九月の寒さとなる。

※ 九月:長月といいます。
明治初期に新暦になりましたが、この詩の江戸時代には陰暦の表現です、約一か月ずれていますので丁度今頃のこととなっています。



追:季節は食からも感じられます、素敵なKさんは手まめに栗の皮をむき 優しい『栗おこわ』を届けてくれました
いつも (人''▽`)ありがとう☆
       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悠然として南山を見る・富士山初冠雪

2020-09-28 21:45:55 | 漢詩
夕べはかなりの雨で寒く、寝具の秋バージョンに交換とか忙しかったね・・・
人里でこんな夜は 山 は雪と決まっている。

という訳で今朝は紺碧の空で久しぶりの太陽☀
こんな空気の澄み渡った気持ちのいい秋の日は、自然に陶淵明の詩が浮かんできます。有名すぎる一首を

飲 酒 二十首  其の五  陶淵明(365~427東晋の時代)

結盧在人境  
而無車馬喧  
問君何能爾  
心遠地自偏  
采菊東籬下  
悠然見南山  
山気日夕佳  
飛鳥相与還  
此中有真意  
欲弁已忘言  



盧を結んで人境に在り
而も車馬の喧しき無し
君に問う 何ぞ能く爾るやと
心遠ければ 地自ずから偏なりと
菊を東籬の下に采り
悠然として南山を見る
山気 日夕に佳く
飛鳥 相与に還る
此の中に真意有り
弁ぜんと欲すれば已に言を忘る



自分は隠者の生活をしていて、粗末な家を人里の中に構えている。
人里なのだが、車や馬の往来がそんなにやかましくない。
君に聞くが、どうしてそんなことが出来るのか。
心が俗界から遠ければ、地は自然とへんぴになるからだ。
おりしも秋の季節で、菊の花が咲き、その花を東の籬のもとで采る。
悠然と南の山を見る。
山の趣は夕暮れが素晴らしく、
鳥が連れ立ってねぐらに帰って行く。
この自然と一体となった何気ない情景、この中にこそ人生の真意が有る。
この真意を説明しようとすると、とたんに説明すべき言葉を忘れてしまう。


※ 我らが富士吉田市は南側に富士山がある、
市内のほとんどの家の窓から富士山が見える。

かつて石原慎太郎さんが講演にいらしたとき、『富士吉田は富士山を本丸とした城下町のようだ・・・』というようなお話をなさってくださいました(そこの部分しか覚えてないの)
そうですね、幹線道路の殆どが富士山に向かって走っています。。

そんなこともあって、私はいつもこの詩を自分の解釈に引き寄せて楽しむ。。



さて、麓の市内に暮らす友人トミーさん宅の庭はすっかり秋の風情
彼女はお仏壇に供える花は殆ど自宅の庭にあるそうです。いいですね!   
トミーさんいい写真を有難う!!


風鳥草               秋明菊
     



ほととぎす(白と紫)
 


勿論、トミーさんちの庭からも南には富士山が見えます🗻



では、いつものKさん提供の今朝の初冠雪の富士山をどうぞ 💛     
まるで水墨画の世界





昨年より24日早く、平年より2日早い 初冠雪 ✧♡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石楠花(しゃくなげ)色に黄昏る ♪

2020-06-04 22:22:33 | 漢詩
2020年6月4日(木曜日) 夕方

『 石楠花色の黄昏れ 』と題した写真が友人Kさんから届きました📨  




夕方なのでぼんやりとしている富士山 ↑


♪夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
  ~ ~
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬  遠い空



今日のような夏の夕暮れの 石楠花色のお空は実に美しい 
暫く眺めていたら  お空の色は時空を越えて・・・

ふと浮かんだ 石楠花 の入っている かの有名な李白の詩を思い出したので、改めてここに書き留めてみることとします。


756年 李白の三人目の奥さん(李白は四度結婚したらしい)が廬山に女道士李騰空を尋ねて行き、そのあと李白も金陵から廬山に入り、屛風畳に夫婦二人はしばらく隠棲していました。
その時の様子を詠んだ詩です。


送内尋廬山女道士李騰空二首
李白    ※李白 701年~762年

 其一
君尋騰空子
応到碧山家
水舂雲母碓
風掃石楠花
若愛幽居好
相邀弄紫霞

内(ない)の廬山に女道士李騰空を尋ぬるに送る
李白

 其の一
君は尋ぬ 騰空子(とうくうし)
応に碧山(へきざん)の家に到るべし
水は舂(うすづ)く 雲母(うんも)の碓(うす)
風は掃く 石楠花(しゃくなげ)
若し幽居の好さを愛さば
邀(あいむか)えて 紫霞を 弄(ろう)せん


※内(ない):妻
※廬山:中国 江西省九江県の南の山
※騰空子(とうくうし):女道士李騰空 宰相 李林甫の娘
女道士:道教の尼のこと
※碧山:俗世間から離れた緑あふれる山
舂:うすづ く(注!春ではありません)
※雲母:不老長寿の仙薬といわれる、廬山に多く産した
※碓:ここでは水力を利用して搗く(つく)うす
紫霞:紫の霞、仙宮にたなびくかすみ、道教では紫色をたっとぶ


君は、女道士の騰空子を尋ねて行こうとしている。
そこは、間違いなく山中の緑あふれる家に到ることでしょう、
そこの景色は、水車が回り臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている。
春風が 石楠花の花 を揺らせ、のどかな様子だろう。
もしその静かで奥深い趣のある居所の良さが気に入ったなら、
騰空子はそなたを迎えて共に,朝の光に照らされて紫色に映えた霞をあつめ、万物を大切にする神仙に仕えることを大歓迎してくれることだろう。


(其の二の詩は今日は割愛します)


※ところで季節のうつろいをサッと 感じる Kさんの感性の敏感さはピカイチ☆ これぞ詩人なり

そしてKさん、翌6月5日 蓬の草の柏餅をつくって届けてくれました 端午の節句でしたね ごちそうさま🍵 
写真を撮るのも忘れて いきなり戴いてしまいました・・・彼女の作るものは全てが美味しい あぁしあわせです 💛



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする