鉱石ラジオ

艦これ二次創作小説同人
C105 日曜日 西地区 せ-27b(西2ホール)

アベノ橋魔法商店街の魔法陣シークエンスが樋口真嗣な件

2018-12-03 01:09:41 | アニメ
C95の原稿に疲れて、つい出来心で懐かしき「アベノ橋魔法商店街」をちょっとだけ見ていたら、エンディングのクレジットに「魔法陣シークエンス 樋口真嗣」とあるのを見つけて、驚きました。そうだったんだ、いや、知らなかったです。何でもできそうな人だから決して不思議と言うほどではないけれど。だからこれは知らなかったことを知ったときの、単純な驚きの気持ちです。

まあ、この話は実はこれだけです。
ところで、魔法が登場するアニメでは今や当たり前すぎるほど当たり前な演出となった魔法陣シークエンスですが、いったいどの作品が元祖になるのでしょうか。

「たまこまーけっと」のスタッフ・コメンタリーで指摘されていましたが、ショッキングな場面で鳴るベートーヴェンの第五交響曲「運命」の冒頭とか、あれ、いったい誰が最初に考えたんでしょうね。あるいは入浴シーンの定番効果音「かこーん」もしくは「かぽーん」とか。日本中から銭湯がなくなるときが来てもあの効果音だけはきっと残るのではないでしょうか。映像の演出で言うなら回想シーンなどによく使われる、映写機の回転不良でコマ送りのように見える演出とか(例:「フルメタル・パニック!ふもっふ」のオープニング)、フィルムに付いた傷(現在の映像メディアではあるはずのない傷)の再現や本編映像開始前のカウントダウンなど(例:「魔法少女まどかマギカ」第一話の冒頭)。まさか今時、フィルムで撮影された映像を映写機で鑑賞することなどまずあり得ない経験でしょう。すでに実体としては失われてしまったのに、それを知っている世代の演出家によって多用され、受け継がれたために形骸化(あるいは、記号化)されて、それが元々何を意味していたのかも忘れ去られて、技法だけが連綿と受け継がれてゆく。きっとそういうものになるに違いありません。それはそれで楽しみのひとつではあります。と言うか、抽象化されてからこそが本番ではないかと思うのですがね。我々は今、歌舞伎の「型」に相当するものが誕生する現場に立ち会っているのかも知れないのですよ。体験が表現として離陸する現場、とでも言いましょうか。

さて、そのような意味合いも込めて、今やパクリ疑惑の取り沙汰されることもあって出尽くした感満載の魔法陣シークエンスの元祖とは、いったい誰なのでありましょうか。
魔法陣演出が登場するアニメで古そうなところと言えば、まず思い出されるのは「魔法少女リリカルなのは」の第一シリーズあたりですが、これは2004年の作品です。「アベノ橋」は2002年なので「なのは」よりも二年ほど先行していることになります。
他の作品だと、うーん、何があったかな。思い出せん。
「捨てプリ」こと「スクラップド・プリンセス」。こちらは2003年の作品で「アベノ橋」の一年後ですが、ラクウェル・カスール(CV:大原さやか様)が詠唱を始めると同時に敵対者の周囲に魔法陣が形成され、詠唱の進行と共に収斂して攻撃魔法が発動するという演出でした。魔法陣とは言ったものの、詠唱者本人の周りに魔法陣が形成される「アベノ橋」とは趣が異なります。現在のアニメで用いられる魔法陣演出の多くを「アベノ橋」系列とすれば、やはり「捨てプリ」のそれは別系統と言うべきでしょう。

情けないことにこれ以上思いつくところがないのですが、もしかしたら魔法陣演出の元祖は「アベノ橋魔法商店街」、すなわち樋口真嗣になるのかも知れません。
このあたりの事情をアニメーション演出の歴史として誰かが検証してくれていると嬉しいなあ。
……無ければお前がやれ、とは言わないで下さい。僕、アニメ、詳しくないんですから。

と言うか、アニメーション学科と称する専攻課程を持つ大学にはそれをやる義務があると思うし、文部科学省はそういう研究にちゃんと予算を出すべきだと思うな。僕は。

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