鉱石ラジオ

艦これ二次創作小説同人
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【ネタバレ】フリオ・コルタサルの「パリへ発った婦人宛ての手紙」について

2018-11-14 23:36:58 | 日記
コルタサル初期の短編集である「動物寓話集」が完訳されていたなんて知らなかった(2018、光文社古典新訳文庫、寺尾隆吉訳)。
これまでこの短編集が単独で邦訳されたことは一度もなく「ブームのラテンアメリカ文学」の名の下に各種のアンソロジーに各編がばらばらに、まるで虫食いのように訳出されるばかりで、原典を読む力量が備わっていない不勉強なファンにとっては、その名を知りながらも、これは幻の短編集だったのである。やるな、光文社。

その中の一篇である「パリへ発った婦人宛ての手紙」もいずれかのアンソロジーで読んだ記憶はあるのだが、慌てて手元にあるコルタサルの著作を調べてみたが、どこで目にしたものか、見つけることができなかった。
今回再読してみて、初見のような新鮮さとページを繰る毎に蘇る懐かしさで一杯になった。最後に読んだのは何年前だっただろう。

この「手紙」とは、実は友人に当てた遺書なのである。手紙の主である主人公の女性は、パリへ旅立った友人が遺したアパートの一室に友人に代わって暮らすことになる。その住居はどうやら高級なアパートらしく(日本で言うアパートとはまったくの別物)、高価で趣味の良い家具調度類に囲まれ、友人の雇った女中まで付いている。
ところが、主人公の女性はひとつ問題を抱えていた。彼女は、喉から子ウサギを吐き出す、という奇癖を持っていたのである。動物のウサギのことである。それを産み落とすのではなく、まるで誤って飲み込んでしまった異物のように吐き出すのだ。彼女はあらかじめ生きた子ウサギを丸呑みにするのではない。あるとき唐突に吐き気が込み上げてきて、口に指を差し入れ、その異物を取り出してみるとそれが子ウサギだった、という具合なのだ。
荒唐無稽な話ではある。だが、この荒唐無稽は寓意に飛んでいる。
原因がないにも関わらず生み出される異物とは何を表しているのだろう。僕はこれから聖母マリアの処女懐胎を連想した。では、これはイエス・キリスト生誕の物語のパロディなのか、というとそういうことでもない。

コルタサルは自身が小説を書くことについて、これは強迫観念から逃れるための手段なのだと告白していたことを何かで読んだ記憶があるが、不意に襲ってくる悪夢の正体を、精神分析的な手段を用いたとしても、我々はそう容易く知ることはできないものではないだろうか。子ウサギが何を象徴しているか。それを問うことに、おそらく意味はない。それはしばしば夜の闇の底で人知れず孕まれる抽象的で得体の知れない異形の観念であり、だから我々はこの子ウサギの輪郭を明晰判明に描くことなどできないのである。

だが、この物語は同時に滑稽でもある。主人公は自分が産み落とす子ウサギを殺処分することができず、女中に隠れて飼育を始める。子ウサギは次々と産み落とされ続け、彼女は次第に持て余すようになり、奔放な子ウサギによって高級アパートの室内は荒らされ、家具調度も傷つけられる。彼女は遂に絶望し、友人の住居を荒れ放題にしてしまったことを詫びるかのようにアパートのバルコニーから子ウサギたちと共に身を投げるのだ。
その過程を綿々と綴った遺書の惨めで、言い訳めいた口調が滑稽さの源になっている。彼女の置かれた深刻な状況は端から見れば滑稽なものにしか映らず、何でそんなことのために、と読者を呆れさせずにはいられない。しかし、もっと他にやりようがあったのに何故、と我々は例えばいじめを苦に自殺した少年少女のことをしばしば難詰するのではなかったか。そういうものだ。

この物語の末尾を引用しよう。

スイパチャ通りに面したバルコニーは朝の光に溢れ、街が活動を始める音が聞こえてきます。舗石の上に散らばった十一羽の子ウサギを拾い集めるのはたいして骨の折れる作業ではないでしょうし、就学児童が通り始める前にさっさと片付けてしまったほうがいい死体に気を取られて、おそらく誰もウサギなど目もくれないでしょう。

この「死体」とは主人公の亡骸に他ならず、いままさに手紙を書き終えようとしている彼女はすでに死亡した自分自身を幻視しているのである。直接的な表現を丁寧に回避した婉曲さが悲しいが、我々が知るのはただ一人の女が身を投げて死んだという事実ばかりで、正しくコルタサルが書いたように、誰も子ウサギなどには目もくれないのだ。

これは、今も我々の身の回りで起こり続けている悲劇の一幕に他ならない。

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