離島暮らしと黒曜石(オブシディアン)

神津オブシディアンラボ活動誌

黒曜石の島 ~神津島にはどれだけ黒曜石があるの?~ その2 沢尻湾編

2020-05-27 10:51:34 | 黒曜石
前回の続きでございます。未読の場合はこちら見てからの方が楽しめるかも。
神津島内の各黒曜石産地を紹介していく第一弾!
今回は、神津島に来れば誰でも黒曜石観察を楽しめる場所、沢尻湾です!

 

ここは、島の集落から北に少し離れた場所にあります。バスもありますが、徒歩でも20分ちょっとで着くので、手軽に遊びに行ける砂浜です。
ここの白い砂浜には、海から長い時間をかけて流れ着いた、小さくて丸っこい黒曜石が沢山混ざってます!

発見のコツとして、
細かい砂があるところよりも、小粒の石が溜まっているところの方が見つかりやすいです。
参考写真 こんな感じのところでよく見つかる

波にさらされて表面がザラザラ灰色っぽくなってるのが多いので、パッと見では分かりづらいですが、一度見つけられるようになるとシーグラスなんかより沢山落ちてるのが分かるようになるので、面白いですよ!
波打ち際で濡れてたりすると、本来の黒さが現れたりするので、より見つけやすくなります。ただし、よく似た別の黒い石(こっちは気持ち緑色が入ったような黒?)もあるので注意!
小さくても黒曜石!光に透けるものもあります!
 
ここの黒曜石は、北側の磯場にある大きな岩の中に細かく入り込んでいるものと、海から潮波に乗って流れ着いているもの、二種類あります。
どちらも、黒曜石としての質はあまり良くありませんが、海からの方が、波に洗われて質の悪い部分が削られているせいか、比較的良質な部分が残っている事が多いです。
 
この海から来ている方なんですが、今でもどこから来ているのかが良くわかっていません。波に洗われて小さくなった黒曜石が無数に流れ着いている事(これは基が岩場の黒曜石である可能性もあるが)、大きいものでも拳サイズ位までであること、質はイマイチだが化学分析にかけると沖合にある恩馳島黒曜石(こちらは質がかなり良い)に近い数値であることから、最初は比較的遠くの沖合、それも恩馳島に近い海底にある鉱脈から来ているのではないか?と考えていました。
しかし、先日、これまで確認されたことのないレベルの大きさの黒曜石が見つかりました!その重さなんと21.4㎏!しかも、ある程度波に洗われて表面がザラザラの状態だったのです。


超大型新人(物理)   大きすぎて自力で持ち上げられませんでした・・・

これは、あまり地理的な距離がない地点からの漂着を意味しており、鉱脈が想定よりも近い位置にある可能性がでてきたことを意味します。
この原石は、今後未発見の海底鉱脈を見つける上で重要な手掛かりになるでしょう!
・・・いい加減、ダイビングのライセンス、取る必要がありそうです・・・。
 


黒曜石の島 ~神津島にはどれだけ黒曜石があるの?~ その1 全体編

2020-05-23 22:27:07 | 黒曜石
このところ少しずつ規制解除が進んできておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
こちらは離島ですが東京都民という扱い(!)ゆえ、また来島する船も東京の竹芝桟橋からの往来が中心のため(静岡の下田からの便もありますが)、まだまだ気が抜けない状況が続いております。早く東京での黒曜石布教活動を再開したいところですが、まぁうだうだ言っても仕方ないので、学術勉強や新商品開発のための石磨きの練習、時間のかかるTVゲームを楽しみつつ、黒曜石を命がけで採りに行ったりしながら島で引き籠り生活しております。
・・・あれ?引き籠りとはいったい・・・?

そんなわけで、日々島の黒曜石を追っかけておりますが、今回は

具体的に島のどこで見つかるのか

というのを紹介したいと思います。私が神津島に入り浸っている理由にもかかわってくる話なので。


では、先ずは分かりやすくするため、地図を貼って全体的な説明をします。

学生時代に作成した画像を流用しております。左上部分や地名が潰れて読めないのは平にご容赦を。

この地図上で、赤い丸を付けている部分が、黒曜石を見つけられる場所になります。
地名の補足をすると
左下にある離れ小島が 恩馳島(おんばせじま)
島の西側の海岸の真ん中の赤枠が 沢尻湾(さわじりわん)
その上の赤枠が 長浜(ながはま)
そして島の東側の突き出た海岸の赤枠が 砂糠崎(さぬかざき)
となります。
これ以外にも、諸事情あって地名をこの場で公開できない場所が二か所あります。

これらを見ていただけるとわかる通り、このような小さな島のいたる所で、黒曜石を確認することができます。しかも、産出地としての規模が大きいものが多いのが特徴です。これが、神津島が「黒曜石の島」と呼ばれる所以なのです。

実は、これらの場所の中で気軽に黒曜石を見に行ける場所は、島の西側の沢尻湾と長浜くらいしかありません。砂糠崎は昔は道があったのですが崖崩れで埋まってしまい、遠目で港から見るか観光用の巡回船などに乗る必要があります。恩馳島に至っては離れ小島。しかも一帯が岩礁地帯のため少しでも波があると近づくことすら容易ではなく、年に2、3度上陸できる機会があるかどうか、という環境のため、なかなか現地で現ナマの黒曜石を拝むのが難しいのです。
このため、外部の人間が神津島の黒曜石を研究しようとすると、一度や二度の2泊3日程度の来島による調査では、天候に左右される場合もあって不十分で、しかも場所によっては年に一度の機会を狙っていかなければならないため、かなり大変です。このためか、2002年辺りまで存在が確認されていなかった産地もあったりします。

ここに、私がわざわざ離島に移住してきた理由の1つがあります。
つまり、
黒曜石産地に行ける機会をなるべく逃さないため
ということ。
島にいれば、常に現地の気候天候を把握できるため、天気に合わせてすぐに産地に足を運ぶことができますし、多少の無茶も効きます。島の方々づてに、恩馳島に行ける機会を教えていただくこともあります。研究をするにあたり、これらの点はかなりのメリットとなるわけです。
・・・まぁ、実際のところ、黒曜石を大量に手元に置いておきたいけど島から持ち出すのも保管するのもクソ大変なので、いっそ島に拠点を作ってそこに貯めこんだ方が効率がいい、というのが本音だったりしますが。



と、個人的な欲望を吐露したところで今回は筆を置きます。(汗
次回から、それぞれの産地の具体的な解説をしていこうと思います!

追記
解説記事が出そろったのでリンクを貼っておきます!

はじめての挑戦 ~さざれ石状の黒曜石をネット販売してみる~

2020-05-14 13:58:39 | 黒曜石
どうも。最近ようやっと気温が上がってきましたね。
私の住んでいる神津島は、気温が上がってからが観光のシーズンで、連休やら夏休みの期間になると、島外からたくさんの方々が観光目的で来島されます。

今年もそうなるはずでしたが、昨今のコロナ旋風の影響で、残念ながら現在本土からのお客さんはシャットアウトする状態が続いています。
その関係で、お土産屋さんや観光協会等に卸している、わが社の黒曜石商品が販売できる機会がなくなっておりまして。
島外に持ち出して販売しようにも、参加予定のイベントが軒並み潰れてしまい、次の冬までの予定がなくなってしまいました。・・・コロナ許すまじ。
このままではにっちもさっちもいかない、ということで、本来ならもう少し販売実績を伸ばして、神津島の黒曜石の知名度を上げてからにしたかったのですが、この場を借りてネット販売の方を始めさせていただこうと思います!

今回は、神津島のとある場所で採集した「細石(さざれいし)状の黒曜石」を加工せずにそのまま詰めたパックをお届けします!
これがその商品
「スターダストオブシディアン」は、わが社で扱っている神津島産黒曜石のブランド名です。
名前の由来はそのうち記事で紹介できるかと。
・・・・・え?厨二病っぽい?それは私が厨二病だ(kr

この黒曜石、詳しい場所は言いませんが、島内のある砂浜で見つかるものでして、私はそこを「オブシディアンビーチ」と(勝手に)呼んでいます。
島の砂浜、本来は白いのですが、ここは地理的な影響により、黒曜石が大量に敷き詰められた結果、全体的に砂浜が黒く見える面白い場所なのです。

写真だと少しわかりづらいですが、真ん中あたりを境に上側が黒っぽくなっています

近づいてみるとこんな感じ。見た目以上に黒曜石がビッシリ

こんな場所、世界的に見てもなかなかないんじゃないかな、と思っており、個人的にとてもお気に入りの場所です。だってこんなの、私にとっては宝の山にしか見えませんもの。
ここで寝っ転がれば、さながら札束風呂ならぬ黒曜石風呂に入っているような気分になります。まぁ実際寝っ転がったら頭に石がザクザク刺さって危ないですがね?

この細かい黒曜石、見た目もきれいなので、是非皆さんにも知っていただきたく、このような商品を作りました。値段もお手頃なので、もし興味持たれた方は、Marchelの販売ページを覗いてみてくださいませ!

何故、離島で黒曜石なのか~神津島の黒曜石が語る古代人の海上渡航~ その2

2020-05-07 09:35:47 | 黒曜石
前回記事の続きになります。
はじめての方はそちらからどうぞ。


前記事で述べた
世界の歴史を変える事実
とは何か。  ズバリ言うと

世界最古の往復航海が日本で行われていたこと

です。

これまで、人類が確かな航海技術をもって(漂流して流れ着いた、とかではなく)海上を往復した記録は、東南アジアのインドネシアからオーストラリア、ニューギニアへの渡航(約2万年弱前)などが言われていました。
日本でこれまで見つかっている一番古い遺跡は、約3万8千年前辺りまで遡る、後期旧石器時代と呼ばれる時代のものです。この年代に同じような特徴を持った遺跡が複数見つかっています。そして、これより前の遺跡は現在見つかっておらず、この年代以降に遺跡数が増えていくことから、この頃に日本列島に人類がやってきたと現在は考えられています。
そんな遺跡の一つである静岡県沼津市の井出丸山遺跡で、黒曜石でできた石器が多数見つかりました。それを分析してみたところ、そのうちの幾つかが神津島の黒曜石であることが判明しました。
ここで少し歴史に詳しい方は、静岡県と伊豆諸島なら、距離的には近いし、旧石器時代は海水面が低かったから陸続きだったんじゃないの?と考えるかもしれません。
しかし、研究によると、当時の海水面は今より100mほど低かったものの、間にある海峡が深かったため、伊豆諸島と伊豆半島は陸続きになっていなかったと考えられています。しかも、現在と変わらない、あるいはもっと強い黒潮海流が間に流れていたとされています。
約3万8千年前の関東、伊豆諸島の地形 参考元:海部陽介『日本人はどこから来たのか?』より

つまり、

当時の人々が舟(どのような舟かは不明ですが)を用い、黒潮を横切り、神津島に渡って本土に帰った(往復した)

ということを、神津島の黒曜石が証明したのです
正に探偵もので言うところの「物的証拠」というわけです。
そして、これはそれだけのことをするための「高度な航海技術」を、当時の人々が持ち合わせていたことを示唆します。
これは、日本列島にやってきた人類が、対馬海峡や南西諸島、シベリア、サハリン(こちらは陸続きだったようですが)から「海を越えてやってきた」とする最近提唱された有力な学説を強力に補佐するものとして、国内だけでなく海外でも注目され、現在、学会での発表や海外有名誌での論文紹介が盛んにおこなわれています。
さらに、上野にある国立科学博物館の研究チームが、当時の海上渡航を、当時の技術だけで行おうという壮大な実験を行い、去年、遂に台湾から与那国島への丸木舟による海上渡航を成功させました。


ここまで話せば、何となく分かっていただけるかもしれません。
私が何故、わざわざ離島に移住してまで黒曜石を追っかけているのか。
それは

神津島の黒曜石が、太古の人類が持っていた技術の超重要な手掛かりを持っているから

なのです。

これだけのことを証明した神津島の黒曜石。研究を続ければまだまだ色々なことが分かってくるに違いありません。で、せっかく研究をするなら、現地で直接黒曜石を集めながらやった方が効率がいいわけです。ちょくちょく島外から黒曜石の研究目的で著名な学者先生方もいらっしゃるので、現地島民としてその方々と交流、サポートもできて一石二鳥。色々都合がいいわけです。


まぁ、なんだかんだ長々と書き連ねましたが、とどのつまりぶっちゃけますと

追い続けたい研究の対象に四六時中触れ合いたいから

ということです。

これが、私が離島に移住した理由。



・・・こうやって書くと、改めてヘンタイ感ありますね。参ったなコリャ。(完)